畿内・近国の戦国時代の歴史


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* 2022/01/14.

月日 出来事
明応2年(1493年) 2月15日 足利義材、畠山義豊討伐のため畠山政長らを率いて河内に出陣。
3月20日 細川政元方、大和国人衆に新将軍として香厳院清晃(足利義澄)の擁立を伝達する。
3月26日 高屋城西方で幕府方と義豊方が交戦。激戦になる。
4月22日 明応の政変起こる。細川政元、義材を廃し足利義澄を擁立。
閏4月7日 政元、政長追討のため河内に上原元秀、安富元家を派遣。
閏4月25日 政元勢、政長方を攻撃。政長、正覚寺で自害。政長の子畠山尚順、紀伊に逃れる。
5月2日 義材、龍安寺に幽閉される。
5月6日 日野富子、義材の毒殺を企てる。
5月18日 政元、義材を上原元秀邸へ移す。
6月29日 義材、上原元秀邸から脱出し越中放生津に移座(放生津幕府)。
7月 但馬守護・山名政豊と嫡男の致豊が合戦。
8月 義澄、駿河・今川氏親の食客・伊勢宗瑞に堀越公方・足利茶々丸の討伐を命じる。茶々丸逃亡。
9月11日 古市澄胤、南山城に侵攻。山城国一揆が収束に向かう。
9月22日 京極高清、美濃斎藤氏の後援により近江に復帰。
9月 政元、義材討伐軍を越中に派遣するが敗れる。
11月17日 横川景三死去。
11月 近江で徳政一揆が起こる。
明応3年(1494年) 3月6日 六角高頼、美濃守護・土岐政房より迎え入れていた養子の美濃法師を毒殺。
5月7日 京都・大和で地震。
7月14日 祇園会再興の託宣が下る。
10月 近江守護の山内就綱、六角高頼と合戦し撃破。
12月9日 就綱と山門、高頼と再度合戦し敗れる。
12月27日 足利義澄、征夷大将軍に宣下。
明応4年(1495年) 3月16日 畠山義豊、河内から紀伊に出兵。
6月 宗祇、「新撰菟玖波集」の編纂を始める。
7月11日 義豊、紀伊への侵攻が失敗に終わり河内に退却する。
8月15日 陸奥の結城政朝、700人規模で上洛。
9月 「新撰菟玖波集」成立。
10月 和泉上守護・細川元有と和泉下守護・細川基経、政元方から離反し畠山尚順方に転じる。
10月 京都で土一揆発生。
11月22日 大和・長谷寺が焼亡。
11月 遊佐弥六、南山城に進出。
明応5年(1496年) 4月25日 播磨・備前・美作守護・赤松政則死去。
5月5日 京都で印地打が起こり、多くの死傷者が出る。
5月12月 六角高頼、美濃・斎藤氏と合戦(船田合戦)。
5月20日 日野富子没。
8月 赤沢朝経、山城に侵攻。
9月 蓮如、大坂御坊建立。
9月 足利義澄、加賀国人一揆に足利義材の上洛の妨害を指示。
10月 弥六、南山城から撤兵。
12月13日 近江で樋口合戦。京極高清、敗北し牢人する。
明応6年(1497年) 4月28日 細川政元被官の香西元長、堺を放火する。
4月 幕府、銭納方の条規を定める。
9月 畠山尚順、河内守護・畠山義豊打倒を目的に紀伊で挙兵し和泉・河内に侵攻。
10月9日 尚順、河内・高屋城を攻撃。義豊没落。尚順、和泉・河内・大和を「一時平均」する。
明応7年(1498年) 5月29日 丹波で国人一揆。守護・一色義秀攻められ自害。
6月11日 近畿・東海で地震が起こる。
8月25日 明応地震発生。紀伊・伊勢、津波に見舞われる。
9月2日 足利義尹(義材改め)、越前の朝倉貞景を頼る。
9月 義尹、大内義興に周防下向の意志を伝達。
11月 義興、義尹の周防下向への対応のため出陣先の豊前から撤退。
11月 乙訓で惣国一揆起こる。
明応8年(1499年) 1月30日 河内十七箇所で畠山尚順と畠山義豊が合戦。敗れた義豊が自害する。
3月25日 蓮如没。
5月 京都、洪水に見舞われる。
6月26日 龍安寺・方丈庭園完成。
7月11日 延暦寺僧徒が足利義尹に呼応し出陣。細川政元、反撃し根本中堂炎上(比叡山焼き討ち)。
7月18日 京極高清、近江に復帰。
7月20日 足利義尹・朝倉貞景、上洛のため軍を起こす。
9月 細川政元、尚順と河内で合戦。
10月11日~22日 政元、摂津国・茨木で大規模な鷹狩を行う。
11月22日 六角高頼、坂本まで南下の義尹を攻撃。義尹敗走し周防の大内義興を頼る。
12月18日 古市澄胤の先導により、赤沢朝経が大和に侵攻。
12月20日 政元と義尹派の尚順が摂津・天王寺で合戦。尚順、敗れて紀伊に逃亡。
12月30日 義尹、周防・山口に到着。
明応9年(1500年) 3月5日 足利義尹、大内義興亭に御成を行う。
3月 豊後の大友親治、義尹派から義澄派に転向。
6月7日 祇園会復興される。
7月28日 上京で大火。2万戸焼失。
8月27日 畠山尚順と和泉衆、紀伊から和泉に侵攻(「国一乱」)。
9月2日 神於寺の戦い。畠山尚順、和泉・岸和田城を攻撃。和泉両守護・細川元有、細川基経が自刃。
9月3日 尚順、河内・高屋城を攻撃。
9月16日 尚順、細川政元派遣軍に敗れ紀伊に逃れる。
9月28日 後土御門天皇崩御。
10月25日 後柏原天皇践祚。
10月30日 幕府、初の撰銭令を発布。
明応10年/文亀元年(1501年) 2月28日 大和国興福寺が強訴。最後の春日社神木動座を行う。
2月29日 文亀改元。
3月28日 九条政基、和泉・日根荘へ下向。
5月24日 本圀寺と妙興寺の僧、宗論を行う。
6月 足利義尹、諸国に出兵を呼びかける。
6月 細川澄之の京兆家家督相続が決まる。
閏6月10日 幕府、大内義興追討の綸旨を賜る。
9月23日 聖護院道興没。
9月 三条西実隆、宗祇から古今伝授を受ける。
9月 足利義尹、大内・大友両氏の和睦の仲介に乗り出す。
12月 安芸の毛利弘元、足利義澄に「大将」の派遣を求める。
文亀2年(1502年) 1月20日 明から堺に金魚が伝来する。
2月 細川政元、足利義澄との関係が悪化し丹波へ遁世。
4月23日 政元、山城・槙島城へ移動。
5月15日 村田珠光没。
5月 興福寺、奈良に撰銭令を発布。
7月30日 宗祇、東国を旅行中相模で客死。
7月 大友親治、足利義澄に「大将」の派遣を求める。
8月4日 足利義澄、細川政元と反目し岩倉・妙善院に籠居。
8月5日 政元、義澄の要求に応じ実相院義忠を殺害する。
9月 政元、九条政基の子を養子にする。
10月 近江守護・六角高頼、守護代・伊庭氏を排斥。伊庭氏、反発し騒乱に発展(第一次伊庭氏の乱)。
文亀3年(1503年) 2月10日 京都・洛中で定例猿楽始まる。6月まで。
2月18日 土佐光信、「北野天神縁起絵巻」完成させる。
5月20日 細川政元、細川義春の子細川澄元を養子にする。
6月18日 六角高頼、政元の仲介により守護代・伊庭六郎と和睦。
7月 政元、足利義澄と反目し槙島に退く。
文亀4年/永正元年(1504年) 1月20日 京都・洛中で定例猿楽始まる。6月まで。
1月 京都大雪。
2月30日 永正改元。
9月4日 摂津国守護代の薬師寺元一、細川澄元擁立を企図し挙兵。義尹方の畠山尚順(河内・紀伊守護)、細川成之(阿波守護)ら出兵。
9月7日 京都で徳政一揆が起こる。
9月11日 幕府、京都に徳政令を発布。
9月20日 細川政元、元一の拠る淀城を攻め落とす(第一次淀古城の戦い)。
9月21日 元一、京都で切腹。
12月18日 尚順と畠山義英が和睦。
12月 九条政基、和泉・日根荘から帰洛。
永正2年(1505年) 2月4日 大和国人一揆が成立。
2月 筒井順賢の下に越智家令の娘が嫁ぐ。
6月2日 足利義澄、但馬守護・山名致豊と守護代・垣屋続成の和睦を仲介。
12月 足利義尹、畠山尚順・畠山義英と結んで上洛を画策。
永正3年(1506年) 1月 細川政元、一向一揆を動員し河内の畠山尚順・畠山義英を攻撃。
4月21日 細川澄元、阿波より上洛する。
4月27日 細川澄之、丹後守護・一色義有討伐のため丹後に出馬。
6月 政元、政務放棄を検討する。
7月11日 幕府、風流踊を禁止する。
7月 幕府、撰銭令を発布。
7月 足利義澄派の本願寺実如、近畿・東海・北陸で一向一揆を蜂起させる。足利義尹派の越前・朝倉貞景、越中・畠山尚順、越後・上杉房能、長尾能景、河内・畠山義英らを攻撃。
8月 若狭の武田元信、丹後に侵攻。
11月 政元、阿波への下国を考える。
12月22日 土佐光信、朝倉貞景の求めに応じて「京中図屏風」を製作。「洛中洛外図屏風」の先駆。
永正4年(1507年) 4月13日 細川澄元、若狭に下向。
4月27日 若狭守護・武田元信、丹後に出兵。
4月 細川政元、陸奥下国を検討する。
4月 政元、丹後に出馬も同月中に帰洛。
6月24日 細川澄之、養父の政元を殺害。澄元、近江に出奔(永正の錯乱)。
7月8日 澄元、丹波から上洛。
7月 大友親治、足利義澄に再度「大将」の派遣を求める。
8月1日 細川高国、澄之を攻撃。澄之自刃。
8月2日 澄元、京兆家家督を相続。
11月25日 足利義尹、大内義興らが供奉し上洛を目的に山口を出発。
12月4日 畠山尚順と畠山義英の対立が再燃。
永正5年(1508年) 1月 畠山尚順、細川澄元と合力し畠山義英を嶽山城から追放。
2月23日 足利義澄、九州の大名に大内義興の討伐を指示。
2月 足利義尹、安芸まで進出。
3月17日 細川高国、澄元と不和になり伊賀に出奔。仁木高長を頼る。
4月9日 義澄と澄元、近江に逃れる。
4月10日 高国上洛。
4月16日 義澄、将軍解官。
4月27日 義尹・義興、堺に上陸。
5月2日 大乗院尋尊没。
5月6日 高国、義尹に京兆家家督の相続を承認される。
6月8日 義尹・義興、堺から上洛。
7月1日 義尹、将軍宣下。
7月26日 尚順、高屋城を攻めていた義澄派の赤沢長経・古市澄胤を破る。澄胤敗死。
8月11日 義尹、畠山尚順宿所に御成。高国・義興反発し途中退席。
8月 幕府、京都で撰銭令を発布。
永正6年(1509年) 6月17日 如意ヶ嶽の戦い。細川澄元・三好之長と細川高国・大内義興が交戦。澄元・之長敗走。
10月 足利義尹、就寝中に斬り付けられる。
永正7年(1510年) 1月 足利義尹、細川高国に近江出兵を指示し足利義澄を攻撃。
8月8日 畿内で大地震発生。
10月14日 足利義尹、大内義興の宿所に御成。
永正8年(1511年) 3月 足利義澄、播磨守護・赤松義村に足利義晴の養育を託す。併せて細川澄元に足利義維の養育を託す。
7月 阿波国に逼塞中の細川澄元が淡路守護・細川尚春、典厩家・細川政賢とともに渡海し京都に侵攻。
8月16日 足利義稙・細川高国・大内義興、丹波に没落。
8月14日 義澄死去。
8月24日 船岡山合戦。澄元、高国・義興勢に敗れ阿波に敗走。
9月21日 京都で徳政一揆が起こる。
9月27日 幕府、京都に徳政令を発布。
永正9年(1512年) 1月 大内義興麾下の安芸・石見の国衆の多くが京都より帰国。
4月14日 大内義興、後柏原天皇の推挙により従三位に上階を果たす。舟岡山合戦の戦功を賞して。
4月16日 足利義尹、細川高国亭御成。
6月 高国、赤松義村後見の洞松院と摂津国尼崎で会談し、赤松氏を赦免する。
6月 豊原統秋、『體源抄』を執筆。
8月 幕府、撰銭令を発布。
永正10年(1513年) 2月14日 足利義尹と足利義晴が赤松義村の仲介により和解。
3月17日 義尹、細川高国と大内義興の専横に怒り近江・甲賀に逐電。
5月3日 義尹、帰洛し政務に復帰。
6月 細川高国、鞍馬寺に狩野元信作「鞍馬蓋寺縁起絵巻」を奉納する。
8月24日 畠山尚順と畠山義英が河内国観心寺で合戦。大敗した義英が没落する。
11月 義尹、義稙に改名する。
永正11年(1514年) 2月13日 赤松義村、播磨国・鵤荘の真宗道場を破却する。
2月19日 近江・六角氏の守護代・伊庭氏が出奔。
4月10日 幕府、私闘を禁ずる。
永正12年(1515年) 3月21日 幕府、熊野本宮と新宮の争論を調停する。
7月 足利義稙、三条高倉に御所の造営を始める。
12月 義稙の御所が完成。
永正13年(1516年) 3月11-13日 近江の国人・中江員継、京都で千句連歌を催す。三条西実隆、宗長、宗牧、宗碩、肖柏ら参加(中江千句)。
4月 足利義稙、大内義興に渡唐船の管掌を任せる。
4月 大和国・東大寺大仏殿、100日間限定で女性への参観が許可される。
7月7日 観世信光、大和で死去。
8月 義興、伊勢神宮に参拝。
永正14年(1517年) 10月 三好之長、淡路に侵攻。淡路守護・細川尚春、堺に出奔。
閏10月 足利義稙、有馬温泉で療養する。
永正15年(1518年) 4月4日 明応8年に焼亡の延暦寺・根本中堂が再建される。足利義稙を迎え供養を行う。
8月 閑吟集成立。
8月2日 大内義興、堺から周防に帰国。
11月9日 播磨守護の赤松義村、備前・三石城の有力被官浦上村宗を攻撃。
永正16年(1519年) 4月 細川高国、阿波勢の上洛を防ぐため大物城(尼崎城)を築城。
5月11日 三好之長、細川高国方の淡路守護・細川尚春を殺害。
8月20日 和泉守護・細川澄賢、防備のため下国。
11月9日 細川澄元と之長、1万の軍勢で阿波より兵庫に渡海し摂津・越水城を攻撃。
11月21日 高国、澄元・之長討伐のため山城・摂津・丹波衆を率いて摂津に出陣。
11月 赤松義村、再度三石城の浦上村宗を攻撃。
永正17年(1520年) 1月12日~ 京都で徳政一揆が起こる。  
2月3日 細川澄元・三好之長、瓦林政頼の摂津・越水城を攻め落とす。
2月12日 幕府、京都に徳政令を発布。
2月18日 細川高国、近江・坂本に出奔。
2月 足利義稙、澄元の京兆家家督を承認。摂津・丹波・讃岐・土佐の守護に補任。
3月7日 紀伊で大地震が起こる。
3月8日 幕府、京都に徳政令を発布。信用取引に関する成文法の初出。
3月27日 之長、2万の軍勢で上洛。
5月3日 高国、如意ヶ嶽に進出。
5月4日 高国方の六角定頼他、朝倉氏・土岐氏ら総勢2万で京都東郊に着陣。
5月5日 高国、京都で之長を破る(等持院の戦い)。
5月11日 之長、曇華院で処刑される。
6月10日 澄元、阿波で死去。
7月 京都で歌舞が流行する。
8月 畠山尚順、内衆との戦いに敗れ紀伊から追放される。
12月26日 赤松義村、足利義晴とともに明石に出奔。
永正18年/大永元年(1521年) 1月28日 赤松義村、浦上村宗方の御着城を攻撃。
2月12日 高野山・金剛峯寺で大火。
3月7日 義稙、淡路に出奔。
3月22日 後柏原天皇、践祚後21年目にして即位式を行う。
4月 赤松義村と浦上村宗が和睦。
5月 畠山尚順、紀伊への再入国を企図。
7月6日 足利義澄の遺子足利義晴、細川高国に擁立され上洛。
8月23日 大永改元。
9月17日 村宗、義村を自害させる。
10月 山城で大地震。
11月4日 高国、丹波・柳本賢治の討伐を企図。
11月30日 高国方、丹波で敗れる。
12月1日 幕府、京都に徳政令を発布。
12月25日 足利義晴、将軍宣下。
大永2年(1522年) 2月16日 播磨国鵤荘荘民ら、浦上村宗の播磨・備前・美作3ヶ国静謐に関する礼銭要求を拒否する。
3月26-29日 細川高国、「県召除目」を25年ぶりに復活させる。
4月3日 足利義晴、六角定頼宿所に御成。
10月 但馬の山名誠豊、播磨に侵攻。
大永3年(1523年) 3月9日 梅本坊の公事。京極高延、浅見氏らの支援により家督を相続。京極高清・高吉父子没落。
4月9日 足利義稙、阿波で死去。
4月 細川高国と大内義興の遣明使、寧波で争う(寧波の乱)。
10月 山名誠豊、但馬から撤退。
12月16日 足利義晴、播磨守護代・浦上村宗の宿所に御成。
大永4年(1524年) 4月19日‐5月3日 三条西実隆、住吉大社・四天王寺・高野山へ参詣の旅に出る。
7月19日 足利将軍家の重宝「御小袖」が近江から16年ぶりに帰洛。
8月15日 掃部助久国、「真如堂縁起絵巻」を完成させる。
10月1日 和泉国菱木で高国方と晴元方が交戦。晴元方の細川元常は阿波に逃れ、畠山義堯没落する。
12月6日 畠山稙長、畠山義英を破り高野山に追放する。
大永5年(1525年) 4月14日 細川高国、家督を細川稙国に譲る。高国出家。
5月19日 六角定頼、浅井氏攻撃のため近江北郡に出兵。越前の朝倉宗滴、六角氏支援のため近江に出陣。
7月 定頼、浅井氏の小谷城を攻略。
9月4日 第2次伊庭氏の乱収束。
9月6日 定頼と京極氏が和睦。京極高慶、六角氏の庇護を受ける。
9月 京極高清ら美濃に出奔。
10月23日 稙国病没。高国、政務に復帰。
大永6年(1526年) 4月7日 後柏原天皇崩御。
4月27日 後奈良天皇践祚。
7月12日 細川高国、香西元盛を自害させる。丹波勢反発。
7~8月 京極高清・浅井亮政、近江に復帰。
10月21日 丹波勢挙兵。高国に背き細川晴元に通じる。
11月30日 高国、丹波征伐のため細川尹賢を派遣するも敗北。
12月2日 畠山義尭、淡路島に渡海し晴元と会談する。
12月14日 足利義維・細川晴元・三好元長、阿波より摂津に兵を渡海させる。
12月26日 若狭・武田元光、細川高国の出兵要請に応じて上洛。
12月27日 高国、細川晴国と細川氏綱を元服させる。
12月29日 高国方の若狭守護・武田元光が上洛。
12月 幕府、徳政令を出す。
大永7年(1527年) 1月 足利義晴、勝軍地蔵山城の築城を始める。
2月13日 細川高国と若狭武田氏、細川晴元方の柳本賢治に敗れる(桂川原の戦い)。
2月14日 足利義晴と高国、近江・坂本に逃れる。
2月16日 晴元方の柳本・波多野氏らが上洛。
3月22日 晴元、足利義維を擁し堺に上陸。
4月4日 肖柏、和泉で没する。
4月 丹後海賊衆、若狭の浦々を襲撃。
5月4日 近江国の四本商人、三ヵ条の掟書を定める。
10月13日 義晴・高国、六角定頼・朝倉教景の支援を得て5万4千の軍勢で上洛。
11月 晴元方の賢治ら丹波勢上洛。
12月 三好元長、阿波より上洛。
大永8年/享禄元年(1528年) 1月17日 足利義晴と三好元長が和睦する。
1月 義晴・足利義維間で和睦交渉が行われるが不調に終わる。
5月14日 細川高国、坂本に逃れる。
5月28日 義晴、坂本に出奔。
5月 六角定頼、義晴・義維間の和睦調停を行うが不調に終わる。
7月 阿佐井野宗瑞、「医書大全」を開板。
7月 京都、炎暑に見舞われる。
8月16日 柳本賢治、伊丹元扶の伊丹城を包囲。
8月20日 享禄改元。
8月 内保合戦。京極高広と京極高慶が京極家家督をめぐり対立。
9月8日 義晴、近江・朽木に移座。
9月 賢治、高国方の大和に出兵し越智・筒井氏を破る。
閏9月 賢治、河内に出兵し畠山稙長の河内・誉田城を包囲。
11月 賢治、稙長の河内・誉田城を開城させる。
11月 高国、伊賀の仁木義広を頼る。
享禄2年(1529年) 1月21日 柳本賢治、伊丹城を攻め落とす。伊丹元扶戦死。
1月23日 細川高国、伊勢に下向。北畠晴具を頼る。
1月26日 賢治、大和の赤沢幸純を自害させる。
2月16日 清原宣賢、越前に下向。
4月 賢治、再度大和に出兵。
6月 高国、若狭に逃れる。
9月 浦上村宗、高国の支援要請を受諾。
享禄3年(1530年) 2月 柳本賢治、京都二条で勧進猿楽を行う。
6月29日 賢治、播磨で殺害される。
7月27日 細川高国と浦上村宗、別所就治の播磨・小寺城・三木城を攻略。
11月3日 細川高国方、如意ヶ嶽に着陣。
11月6日 高国・村宗、薬師寺国盛の尼崎城(大物城)を攻略。
12月 幕府、徳政令を出す。
享禄4年(1531年) 1月 洛外で細川高国方と細川晴元方の木沢長政が合戦。
2月17日 足利義晴、坂本に移座。
2月21日 三好元長、堺に上陸。
2月 高国と浦上村宗、伊丹城を攻略。
3月6日 高国・村宗、摂津・池田城を攻略(中嶋の戦い)。
3月8日 木沢長政・柳本甚次郎、京都から撤退。
4月6日 箕浦合戦。六角定頼、浅井亮政を破る。
閏5月28日 狩野元信、「酒伝童子絵巻」を完成させる。
6月4日 天王寺の戦い。三好元長、高国・村宗を撃破(大物崩れ)。
6月8日 高国、摂津国尼崎で自害。
8月 河内守護・畠山義堯、飯盛山城の木沢長政を攻撃するが敗れる。
8月 晴元、足利義維・阿波守護の細川持隆・三好元長と対立。双方、堺で籠城。
11月 土佐光茂、「当麻寺縁起」(當麻寺)を完成させる。
享禄5年/天文元年(1532年) 1月22日 三好元長、京都・下京で柳本甚次郎を攻撃し討ち取る。
3月3日 細川晴元、元長と義絶。
6月18日 畠山義尭、一向一揆に攻められ誉田城で自刃。
6月20日 証如、細川晴元の求めに応じて堺に出兵。元長、堺・顕本寺で自害。
6月 足利義維、晴元に拘束される。「堺幕府」崩壊。
7月16・17日 一向一揆、大和に乱入し南都七郷を焼き討ちにする。
7月29日 天文改元。
8月4日 晴元方の木沢長政、一向宗の摂津・浅香道場を放火。
8月17日 足利義晴、桑実寺に「桑実寺縁起絵巻」を奉納。
8月23日 晴元方の六角氏・法華宗徒、山科本願寺を攻撃。山科本願寺焼亡。証如、大坂に逃れる(山科本願寺の戦い)。
9月7日 山崎口で法華宗徒・丹波勢が一向宗徒・摂津勢と交戦。一向宗徒・摂津勢勝利。
9月12日 細川晴国、丹波・鞍馬口に着陣。
10月 京都近郊で半済実施運動が起こる。
12月7・14日 祇園祭、降雪の中執行される。
12月14・15日 堺で大火。4千軒焼失。
12月 京都で徳政一揆起こる。
12月 摂津勢、一向宗から離反。
天文2年(1533年) 2月10日 細川晴元、一向宗徒に敗れ淡路に逃亡。
3月29日 木沢長政と法華宗徒、摂津・伊丹城で一向宗徒を破る。
4月21日 足利義晴、六角定頼・義賢の観音寺城に御成。
4月24日 宗碩、長門国で客死する。
4月 法華宗徒、大坂本願寺を攻撃。
4月 足利義晴、阿波守護・細川持隆に出兵を要請。阿波勢渡海。
5月5日 晴元・長政・法華宗徒、大坂本願寺を攻撃。
5月26日 細川晴国勢、高雄に着陣。
6月18日 晴元方と法華一揆、京都郊外の高雄・栂尾で細川晴国方と戦い敗戦。
6月20日 三好長慶の仲介により、晴元と本願寺証如が和睦する。
12月 晴国・丹波勢、再上洛を目指す。
天文3年(1534年) 2月 京都・上京に自治組織「六町」が成立。
5月 細川晴元と本願寺の和睦が破れる。
8月20日 京極高清・高延父子、小谷の浅井亮政亭に御成。
8月 河内守護・畠山稙長、守護代・木沢長政に追放される。
9月3日 足利義晴、近江・坂本から帰洛。
11月21日 足利義維派の公卿・九条稙通が出奔。
12月 義晴、大内義隆と大友義鑑の和睦を図る。
天文4年(1535年) 2月18日 六角定頼、江北に出馬。
6月29日 後奈良天皇、諸寺社に雨乞いを命じる。
9月 六角・朝倉連合軍が美濃に出兵。
11月 細川晴元と本願寺、再度和睦する。
天文5年(1536年) 1月 証如、山科道場を再興。
3月 京都・一条で叡山僧・華王房と法華宗徒・松本新左衛門久吉が宗論を行い華王房が論破される(松本問答)。
6月26日 木沢長政、信貴山城を築く。
6月29日 大和・長谷寺、焼亡する。
7月22日 天文法華の乱起こる。延暦寺宗徒と六角氏、洛中の法華宗寺院を攻撃。上京1/3焼失、下京全焼。
8月29日 細川晴国、家臣の裏切りにより天王寺で自害。
9月24日 細川晴元上洛。三好長慶・木沢長政・波多野秀忠を供として足利義晴に出仕。
閏10月 晴元、法華宗徒の洛中徘徊と寺院再興を禁止。
11月19日 晴元、長慶邸に御成。
11月 足利義晴と六角定頼が和睦。
天文6年(1537年) 1月3日 京都五町組、足利義晴に初の年頭拝礼。
12月 足利義晴、大内義隆に上洛を要請する。
天文7年(1538年) 3月 京極高慶・六角定頼と京極高広・浅井亮政が近江・佐和山で合戦。
4月4日 丹後海賊衆、越前・敦賀郡を攻撃。
5月 六角定頼、近江北郡に出兵。
6月 尼子氏、播磨に侵攻。
7月9日 大坂寺内町、細川晴元から諸公事免許・守護不入権を獲得する。
7月29日 足利義晴、細川晴元亭に御成。
7月 播磨守護・赤松晴政、淡路に出奔。
7月 遊佐長教、畠山政国を南河内守護に迎える。
8月 畠山稙長と尼子晴久が共闘し上洛作戦を計画。
9月21日 近江北郡の浅井亮政、徳政令を発布。
天文8年(1539年) 4月8日 赤松晴政、阿波細川氏・三好氏と共に明石に上陸。
6月 三好長慶、細川晴元に河内十七箇所の代官職を望むも拒否され関係が悪化。
閏6月-7月 奥州探題・大崎義直派遣の使節団が上洛。南部氏、葛西氏が参加。
7月28日 晴元と長慶、足利義晴と六角定頼の仲介により和睦。
7月 幕府、土倉の要求を受け入れ徳政を停止。
8月 近畿で大洪水。
10月18日 足利義晴、定頼邸御成。
天文9年(1540年) 2月 堺に出奔中の赤松政村、足利義晴に尼子氏との和睦の仲介を求める。
3月 六角義賢、北伊勢に出兵。10月までの長陣になる。
4月26日 丹後海賊衆、再び越前・敦賀郡を攻撃。
7月 丹後・加佐郡に越前から500艘の船団が襲来。4月の丹後海賊衆による敦賀郡攻撃の報復。
9月23日 伊勢貞孝亭で楊弓会事件起こる。
天文10年(1541年) 8月12日 細川晴元、三好長慶と三好政長に塩川国満の摂津一庫城攻撃を指示。
9月29日 木沢長政勢、一庫城を後巻。
10月2日 長慶、一庫城から摂津・越水城に退却。
10月 長政、京都に向け進軍。足利義晴・晴元出奔。
12月 晴元、長政討伐のため摂津に出陣。
天文11年(1542年) 3月17日 太平寺の戦い。三好長慶と木沢長政が合戦し、長政が敗死。
3月 足利義晴帰洛。
3月 畠山稙長、河内守護に復帰。
3月 生野銀山、操業を開始する。
4月 幕府、30年ぶりに撰銭令を発布。
10月1日 池坊専応、「専応口伝」を著す。
11月14日 後奈良天皇、法華宗諸寺に帰洛許可の勅許を発する。
12月13日 細川高国後継の細川氏綱、堺南口で和泉守護・細川元常方と合戦。
天文12年(1543年) 7月25日 細川氏綱と細川晴元勢が堺で合戦。晴元方敗れる。
7月 足利義晴、坂本に逃れる。
10月19日 氏綱、和泉へ逃れる。
10月 一条房通、土佐に下向。
天文13年(1544年) 2月 伊勢・山田原で大火。6千軒焼失。
3月 伊予国の河野通直、足利義晴の招喚を受け上洛する。
7月 畿内で大風雨、洪水が発生。
9月 宗牧、東国へ旅立つ。
天文14年(1545年) 5月25日 細川晴元と旧高国派、山城・宇治田原で合戦。激戦になる。
5月 畠山稙長死去。
7月27日 三好長慶、丹波に出兵。内藤備前守を破る。
9月22日 宗牧、下野・佐野で死去。
天文15年(1546年) 8月 細川晴元、細川氏綱・畠山勢討伐のため三好長慶を堺に派遣。
8月 氏綱・遊佐長教、堺に駐留の長慶を包囲。
8月20日 堺の会合衆、長慶と氏綱の和睦を仲介。長慶、堺から撤退。
9月4日 氏綱・長教、晴元方・山中又三郎の摂津・大塚城を開城させる。
9月13日 氏綱派の細川国慶が上洛。
9月14日 晴元、丹波に出奔。
9月18日 氏綱・長教、晴元方・芥川孫十郎の芥川山城を攻略。
10月 山城国・西岡で徳政一揆起こる。
10月 長慶、堺で氏綱・畠山勢に包囲される。阿波細川氏、長慶救援のため堺に渡海。
11月10日 幕府、徳政令を発布。
11月 義晴、勝軍地蔵山に築城を開始。
12月 足利義晴、子の足利義輝に将軍職を譲る。朝廷、義晴を右大臣に補任。
天文16年(1547年) 1月14日 細川国慶、京都を離れる。
2月20日 細川晴元、細川氏綱方の摂津・原田城を開城させる。
3月22日 晴元、氏綱方の摂津国人・三宅国村を降伏させる。
3月29日 足利義晴・義輝父子、晴元と反目し将軍山城に籠る。
4月 六角定頼、長慶の手引きにより義晴方から晴元方に転向。
6月17日 延暦寺と洛中の日蓮宗諸寺が定頼の仲介により和睦。
7月19日 義晴、将軍山城を自焼し坂本に退く。
7月21日 舎利寺の戦い。長慶と細川氏綱方の遊佐長教が合戦。長教敗走。
7月29日 義晴・義輝と晴元・六角定頼が和睦。
8月27日 紀伊・根来寺の大塔、67年をかけ完成する。
10月6日 国慶、京都北効の大将軍で討死。
天文17年(1548年) 4月21日 六角定頼、夫婦で奈良を訪問し、細川晴元・三好長慶と畠山政国・遊佐長教の和睦を仲介する。
6月7日 足利義晴、坂本から帰洛。
6月29日 足利義晴・義輝父子、晴元亭に御成。
10月28日 長慶、細川氏綱方に転じる。
12月10日 長慶、遊佐長教と起請文を取り交わす。
天文18年(1549年) 2月18日 堺で三好長慶、遊佐長教が会談を行う。
4月 細川晴元、近江に赴き六角定頼と会談。
5月9日 堺北庄で三好長慶・遊佐長教と畠山在氏が合戦。在氏没落。
5月28日 晴元、摂津に出陣。三宅城に入城。
6月24日 江口の戦い。三好勢、晴元方の三好政長を敗死させる。
6月27日 足利義晴・足利義輝・晴元、坂本に出奔。
7月9日 細川氏綱と長慶上洛。氏綱、細川家の家督を相続。
8月8日 荒木田守武死没。
10月18日 義晴、京都郊外に中尾城の築城を始める。
12月11日 六角氏、近江・枝村惣中に初の楽市令を発布。
天文19年(1550年) 2月16日 足利義晴、築城中の中尾城に「鉄砲用心」のため壁を二重に作り、間に石を入れ防御力を高める。
3月28日 三好長慶、細川晴元方の摂津・伊丹城の伊丹親興を遊佐長教の仲介により開城させる。
5月4日 義晴、坂本で死没。
6月9日 義輝と晴元、中尾城に入城。
7月12日 清原宣賢、越前で没。
7月 長慶と阿波勢が上洛。晴元勢と対峙。
7月 京都郊外で三好勢と晴元勢が小競り合い。鉄砲が使用され三好方の1名が死亡。戦場における鉄砲使用の早期の例。
8月3日 晴元、越前に下向。
8月16日 摂津の有馬村秀、寺内町誘致のため名塩・木下の両村を教行寺に寄進する。
10月20日 長慶の摂津勢、上洛。
11月19日 長慶、4万の勢力で上洛。
11月20日 長慶方の松永長頼、近江に進出し大津を放火。
11月21日 中尾城の戦い。義輝、近江に逃走。
天文20年(1551年) 1月30日 伊勢貞孝らが近江滞在中の足利義輝の京都への連れ戻しを企む。
1月 フランシスコ・ザビエル上洛。
1月 三好長逸、御所庭園を拝観。
2月7日 三好方の松永長頼、近江に侵攻も山岡氏に敗れる。
2月10日 足利義輝、近江・朽木に移座。
2月27日 長慶と六角氏、京都郊外・北白川で合戦。
3月7日 長慶、吉祥院で暗殺未遂。
3月14日 長慶、伊勢貞孝邸で暗殺未遂。
3月15日 長慶、山崎に出奔。
3月15日 細川晴元方の丹波勢、京都に進出。京都郊外を放火。
5月5日 遊佐長教、暗殺される。
7月 相国寺の戦い。三好方の松永兄弟率いる摂津・大和勢4万が相国寺に陣取る晴元方の丹波勢を攻撃。丹波勢撤退。相国寺炎上。
天文21年(1552年) 1月2日 六角定頼没。子の六角義賢、跡を継ぐ。
1月28日 義賢、足利義輝と三好長慶の和睦を仲介。義輝上洛。畿内の領主達数千人が出迎える。
2月26日 細川氏綱・長慶、上洛し義輝に謁見。
2月31日 氏綱、義輝に細川家家督相続を承認される。
2月 上・下京衆、京都で勧進猿楽を行う。
2月 河内で畠山氏内衆の萱振・中小路・田川・吉益氏が粛清される。
3月12日 細川晴元、若狭に出奔。
4月25日 長慶、丹波・八上城を包囲。
5月23日 長慶、丹波から撤退。
5月23日 畠山高政が河内に侵攻。畠山尚誠、敗れて没落する。
8月 晴元と長慶が和睦。晴元、嫡男の六郎を長慶に預ける。
9月 晴元、丹波に出奔。
10月28日 長慶、再び丹波に出兵。
11月12日 長慶、丹波から撤退。
11月27日 晴元、山城・西岡に進出。
11月 義輝、晴元の上洛に備え霊山城を築城。
12月1日 長慶上洛、祇園に着陣。
天文22年(1553年) 2月23日 三条西公条と里村紹巴、大和国・吉野へ観桜旅行に旅立つ。
2月 細川晴元、丹波から高雄に進出。
3月8日 足利義輝と三好長慶が反目。義輝、東山霊山城に入城。
6月 足利義維派の三好実休・十河一存、足利義輝派の阿波守護・細川持隆を阿波・勝瑞城で殺害。
7月 晴元、長坂から出張。
8月1日 長慶・畠山高政・安見宗房ら2万5千の勢力で入洛。
8月2日 義輝・晴元、丹波に退く。
8月29日 長慶、本拠を摂津・越水城から摂津・芥川山城に移す。
8月30日 義輝・晴元、朽木に移座。
9月3日 長慶、松永久秀・長頼兄弟を晴元方討伐のために丹波に出兵させる。
9月 上杉謙信、越後より上洛。
9月 長慶、松永兄弟に丹波攻めを命じるも敗れる。
10月 近江で「北郡錯乱」。浅井久政、六角氏に敗れる。
天文23年(1554年) 1月19日 大友義鎮、足利義輝に「南蛮鉄砲」を献上する。
4月12日 三好長慶、松永久秀を再度丹波に派遣する。
9月1日 長慶、三好長逸を播磨に派遣し別所氏を攻撃。
9月27日 長慶、3度丹波に出兵するが敗れる。
10月12~28日 淡路・洲本で三好家兄弟会議。長慶、三好実休、十河一存、安宅冬康が参加。
11月 三好勢、播磨の細川晴元方を攻撃。
天文24年/弘治元年(1555年) 1月13日 三好長慶、赤松氏救援のため播磨に出兵。細川晴元方の明石城を開城させる。
1月 長慶、別所氏の三木城を攻略し播磨を平定。
9月 稗貫義時、陸奥より上洛し足利義輝に謁見。
9月 長慶、波多野元秀の丹波・八上城を攻撃。
10月23日 弘治改元。
弘治2年(1556年) 4月 足利義輝、朝倉義景と加賀一向一揆の和睦仲介を行う。
6月15日 松永久秀、摂津・越水城で三好長慶らを招いて「瀧山千句」を開催。
弘治3年(1557年) 9月5日 後奈良天皇崩御。
10月 三好長慶、八上城を再攻撃。
11月17日 正親町天皇践祚。
弘治4年/永禄元年(1558年) 2月28日 永禄改元。
3月 細川昭元、芥川山城で元服。
4月 足利義輝と細川晴元、坂本に進出。
6月9日 三好勢と義輝が北白川で合戦(北白川の戦い)。
7月9日 義輝と長慶との間で、帰洛に向けた交渉を開始。
8月8日 赤松晴政、子の義祐と不和になり播磨・龍野城に出奔。
9月 尼崎で三好家兄弟会議。長慶、三好実休、十河一存、安宅冬康、三好義興参加。
11月27日 義輝、六角義賢の仲介により長慶と和睦し5年ぶりに帰洛。
11月30日 河内守護の畠山高政、安見宗房と反目し河内を出奔。
永禄2年(1559年) 2月2日 織田信長、尾張より上洛し足利義輝に謁見。
4月21日 越後の上杉謙信、2度目の上洛。近江・坂本に到着。
4月 浅井賢政、六角氏と義絶する。
5月1日 謙信、正親町天皇に謁見。
5月24日 謙信、義輝に謁見。
5月29日 三好長慶により和泉に派遣された松永久秀、根来寺衆徒と合戦し敗れる。
5月 足利義輝、毛利元就と尼子晴久の和睦調停のため使僧を遣わす。
5月 斎藤義龍、美濃より上洛。
6月1日 大館晴光、北条氏康から嫡男・氏政の相伴衆への推挙を要望される。
6月 三好勢、大和に侵攻。
7月24日 長慶、河内で安見宗房を破る。
7月 義輝、御所の造営を始める。
8月6日 松永久秀、大和に侵攻。筒井・十市・万歳氏、大敗を喫し筒井城が落城する。
8月8日 松永久秀、大和・信貴山城を居城とする。
8月 畠山高政、河内高屋城に復帰。
10月6日 狩野元信没。
10月26日 謙信、越後に帰国。
11月20日 正親町天皇、楠木正成を赦免する。
12月15日 本願寺、門跡の勅許を得る。
12月 ガスパル・ヴィレラ上洛。
永禄3年(1560年) 3月 幕府、ガスパル・ヴィレラにキリスト教の布教を許可する。
3月 近畿で旱魃が起こる。
4月8~28日 洲本で三好家兄弟会議。三好長慶、三好実休出席。
5月20日 大和・興福寺で酒に火入れを行う。世界初の低温殺菌法。
5月 三好勢、河内に侵攻。
6月 足利義輝、御所を完成させる。
7月24日 松永久秀、再び大和に侵攻。筒井順慶、没落する。
8月 野良田の戦い。浅井長政、六角義賢を降す。
9月 近衛前久、京都を出奔し越後に下向。
10月24日 長慶、安見宗房の河内・飯盛山城を攻め落とす。
10月27日 長慶、河内守護・畠山高政の高屋城を開城させる。
10月 顕如と甲斐・武田信玄、同盟を結ぶ。
11月13日 長慶、飯盛山城に入城。
11月 久秀、信貴山城に天守を造営。
11月 久秀、大和国宇陀郡に出兵。
12月 美濃斎藤氏、六角氏と連携し浅井氏を攻撃。
永禄4年(1561年) 2月1日 三好長慶・三好義興・松永久秀、足利義輝より桐紋を拝領する。
2月 浅井賢政、美濃の斎藤義龍を攻撃。
3月3日 義輝、長慶邸御成。
3月18日 十河一存死去。
3月30日 義輝、義興亭に御成。
3月 六角義賢・ 義弼父子、浅井方の佐和山城を攻略。
閏3月12日 義輝、毛利元就に尼子義久との和睦を求める。
5月27日 長慶、河内・飯盛山城で「飯盛千句」開催。
6月 京都、奈良に大風雨・洪水。
7月28日 六角義賢・畠山高政ら、長慶に背き挙兵。六角勢、洛外北白川に進出。
8月17日 元就、義久との和睦に応じる。
11月18日 足駄上人、紀伊国那智より補陀落渡海を行う。
11月24日 将軍地蔵山の戦い。三好勢、義賢を攻撃。義賢敗走。
永禄5年(1562年) 3月5日 久米田の戦い。三好実休、畠山高政に敗れ戦死。
3月6日 三好長慶、足利義輝を石清水八幡宮に避難させる。
3月7日 六角義賢、洛中を占拠する。
3月18日 幕府、山城国・西岡に徳政令を発布。
3月 富田林寺内町、畠山高政から「大坂並」文言を含む寺内町特権を獲得する。
4月20日 義賢、洛中に徳政令を発布。
5月19日 教興寺の戦い。三好長慶、畠山高政を破る。
5月 細川晴元と長慶が和睦。
5月 松永久秀、大和・多聞山城の築城を始める。
6月2日 義賢、三好氏と和睦し近江国に帰国する。
6月22日 足利義輝帰洛。
8月2日 近衛前久、越後から帰洛。
8月25日 伊勢貞孝、謀反を起こす。
8月 反三好勢が蜂起。安見氏・根来寺衆徒、和泉・岸和田城を攻撃。
8月 松永久秀、山城南部と大和に徳政令を出す。
9月12日 三好義興らが貞孝を攻撃。貞孝敗死。
11月 久秀、春日大社で七ヶ夜陪従神楽を催す。
永禄6年(1563年) 1月24日 和泉で三好勢と根来寺が合戦。
1月 毛利元就、大森銀山を朝廷・幕府に献上。以後、京都での銀使用が増加。
2月25日 細川氏綱、淀城で最後の「細川千句」を催す。
3月1日 細川晴元、摂津・富田の普門寺城で死去。
5月 足利義輝、大友・毛利氏間の和睦調停を行う。
6月 三好長慶の家臣73名が、飯盛山城でガスパル・ヴィエラから洗礼を受けキリスト教に改宗する。
8月25日 三好義興死去。
9月23日 伊勢神宮・外宮、130年ぶりに正遷宮を行う。
10月1日 六角義治、重臣の後藤賢豊父子を殺害(観音寺騒動)。
10月6日 浅井長政、江南に出兵。
10月16日 三好氏と根来寺、堺で会談し和睦。
12月20日 細川氏綱没。
閏12月 松永久秀、家督を嫡男の久通に譲る。
永禄7年(1564年) 1月 三好義継・松永久通、上洛し足利義輝に出仕。
5月9日 安宅冬康、兄の三好長慶に自害させられる。
5月13日 義輝、上杉謙信に御内書を発し北条氏康との和睦を求める。
6月22日 義継、家督相続の挨拶のため上洛。
7月4日 長慶没。
12月 京都で三好家重臣会議を開く。篠原長房、松永久秀、三好長逸出席。
永禄8年(1565年) 2月 和泉国で僧侶が補陀落渡海を行う。
3月23日 足利義輝、再度上杉謙信に北条氏康との和睦を求める。
5月19日 永禄の政変起こる。義輝、三好三人衆らに襲撃され討死。
6月24日 河内守護・畠山氏、謙信に「天下御再興」のため上洛を求める。
7月5日 正親町天皇、キリシタン追放の綸旨を発する。
7月 松永久秀、ガスパル・ヴィレラ、ルイス・フロイスら宣教師を京より追放。
7月28日 足利義昭、興福寺から近江・矢島に脱出。
8月5日 義昭、謙信に御内書を発し上洛を求める。
8月 松永長頼、丹波で戦死。
11月 久秀、義継と三人衆から離反。畠山氏らとともに反三人衆方として行動。
永禄9年(1566年) 2月17日 三好三人衆、和泉・上野芝で松永久秀・畠山高政・根来衆と合戦し撃破(家原の戦い)。
2月 足利将軍家、出雲陣中で発病の毛利元就のために曲直瀬道三を遣わす。
3月17日 幕府・三好氏、京都に撰銭令を発布。
5月 畠山氏・松永久秀、河内で三人衆と合戦し敗北。
5月30日 松永久秀、堺から逃亡。
6月11日 阿波の篠原長房、足利義栄の先方として摂津に渡海。
8月17日 長房、2万5千の軍勢で久秀方の摂津・滝山城を攻略。
8月29日 義昭、若狭に逃れる。
9月8日 義昭、越前に移動。
9月23日 足利義維・義栄父子、阿波より摂津に渡海。
9月 三好氏、再度京都に撰銭令を発布。
12月7日 足利義栄、摂津・越水城から摂津・富田の普門寺に移座。
12月 近江・坂本で六角義賢と三好三人衆が会談。
永禄10年(1567年) 2月9日 曲直瀬道三、安芸の毛利元就に九ヵ条の意見書提出。元就の領民統治に苦言を呈す。
2月10日 里村紹巴、京を出立。
2月10日 足利義輝追悼の大施餓鬼が真如堂において2800人規模で実施される。
2月16日 三好義継、三人衆から離反し久秀と合流。畠山氏・根来寺とともに反三人衆方として活動を始める。
4月12日 義継と松永久秀、多聞山城に入城。
4月18日 六角氏式目制定。
8月27日 紹巴、帰洛。
8月 織田信長、伊勢北部に出兵。
10月7日 永禄の政変の犠牲者を悼むため安芸より人形武者600人が上洛し、真如堂で風流を行う。
10月10日 東大寺大仏殿の戦い。義継・久秀と三好三人衆が奈良で市街戦。東大寺大仏殿全焼。
11月16日 朝廷、義栄の将軍宣下を拒否。
11月22日 義昭、一乗谷に移動。
12月 足利義昭、朝倉義景と加賀一向一揆の和睦仲介を行う。
永禄11年(1568年) 2月8日 足利義栄、将軍宣下。
2月 織田信長、伊勢に再出兵し伊勢北部を平定。
5月17日 義昭、朝倉義景亭に御成。
6月24日 義昭、越前を離れる。
7月24日 義昭、美濃に立政寺に移動。
8月7日 義昭を供奉する信長、義景に近江・佐和山まで出兵を求めるが拒否される。
8月14日 信長、六角氏に義昭上洛の供奉を求める書簡を送る。
8月17日 三好三人衆、近江に赴き六角義賢・義治父子と会談。「天下之儀」について話し合う。
9月7日 信長、美濃から近江に出陣。
9月10日 義栄死去。
9月12日 観音寺城の戦い。六角氏、信長に敗れ甲賀に逃亡する。
9月13日 信長、観音寺城に入城。江南の諸氏、信長に恭順を示す。
9月26日 義昭・信長上洛。
9月 近衛前久、再び出奔。
10月4日 畠山高政・秋高父子、幕府に出仕する。
10月5日 松永久秀、義昭と信長に出仕。
10月18日 義昭将軍宣下。義昭、畿内の守護を再編。
10月24日 義昭将軍宣下の祝賀能が開かれる。信長、義昭より桐紋・引両を拝領する。
10月 義昭・信長、大和に兵を派遣し平定する。
12月28日 三好三人衆、松永久秀方の和泉国・家原城を攻落する。
永禄12年(1569年) 1月5日 三好三人衆、本圀寺の足利義昭を攻撃(本圀寺の変)。
1月6日 三人衆と義昭方の後詰勢が桂川で合戦。三人衆、京都より撤退する。
1月14日 織田信長、「殿中御掟」を定める。
2月27日 信長、義昭の御所修築を始める。
2月28日 信長、京都に撰銭令を発する。
3月1日 信長、摂津・天王寺に撰銭令を発する。
3月16日 信長、京都及びその近郊に撰銭令を発布する。
4月8日 信長、キリシタンに洛中居住を許可する。
4月15日 義昭、キリシタンに洛中居住を許可する。
4月20日 京都で朝山日乗とルイス・フロイスが宗論を行う。
4月25日 正親町天皇、宣教師追放の綸旨を発布。
4月 顕如と朝倉義景が和睦。
5月 信長、禁裏の修造を始める。
8月28日 信長、北畠氏の伊勢・大河内城を包囲(大河内城の戦い)。
8月 毛利元就、義昭に出兵を要請。信長、播磨・但馬両国に木下秀吉・坂井政尚を派遣し但馬守護・山名氏を攻撃させる。
10月4日 信長と北畠氏、和睦し北畠具教が伊勢大河内城から退城する。織田信雄、北畠家の家督を相続する。
10月6日 信長、伊勢神宮に参詣。
10月17日 信長、岐阜より上洛も早々に帰国。
11月 伊賀で惣国一揆が成立。
12月28日 信長、京都に撰銭令を発布。
永禄13年/元亀元年(1570年) 1月15日 別所長治ら播磨国衆、上洛し織田信長に出仕。
1月23日 足利義昭と信長、「五箇条々書」を取り交わし双方の役割を確認する。
1月23日 信長、諸国の大名・領主に触状を発し将軍への出仕を求める。
4月14日 信長、足利義昭の二条御所完成を祝して能を催す。姉小路頼綱・徳川家康・畿内の大名ら出席。
4月20日 信長、越前に出兵。朝倉義景の成敗に乗り出す。
4月23日 元亀改元。
4月25日 浅井長政、信長に謀反。
4月30日 信長、浅井長政の裏切りにより越前から撤退。
6月4日 野洲河原の戦い。信長軍、六角勢を退ける。
6月28日 野村の戦い。織田・徳川軍が朝倉・浅井軍を破る。
7月21日 三好三人衆、摂津に上陸(野田城・福島城の戦い)。
8月 東大寺大仏殿の再建開始。
9月 義景の催促を受け、本願寺顕如、信長に反抗。
9月12日 顕如、諸国の門徒に反信長の一揆を蜂起させる。
9月20日 義景・長政、近江・坂本に進出(志賀の陣)。
9月23日 義昭・信長、摂津から撤退。
9月23日 幕府、京都に徳政令を発布する。
10月 三好三人衆、南山城まで進出。
10月20日 朝倉・浅井軍、京都郊外を放火。
11月12日 信長、長政との和睦を拒否。
11月21日 信長と三好三人衆・篠原長房、松永久秀の仲介で和睦。
11月21日 信長と六角義賢が和睦。
11月21日 伊勢・長嶋一向一揆、攻勢に出て織田信興を自害させる。
12月13日 信長と義景、朝廷講和により和睦。
元亀2年(1571年) 2月24日 浅井方の磯野員昌、佐和山城を開城し織田方に降伏。
3月5日 細川藤孝、勝持寺に於いて「大原千句」を催す。
5月 織田信長の長嶋一向一揆征伐が失敗に終わる。
6月4日 松永久秀、義昭・信長から離反し三好三人衆と共に畠山昭高の河内・高屋城を攻撃。
7月 京都で風流踊が流行。
8月4日 辰市城の合戦。松永久秀・三好義継、筒井順慶の辰市城を攻撃するが大敗を喫する。
9月1日 久秀、摂津守護・和田惟政の摂津・高槻城を攻撃。
9月12日 織田信長、比叡山焼き討ちを行う。
11月 但馬国守護・山名祐豊が丹波国に侵攻。
12月 細川昭元、上洛し義昭に出仕。右京大夫を任官。
元亀3年(1572年) 3月 足利義昭、洛中に織田信長邸の造営を始める。
3月 信長、摂津・本興寺寺内町を安堵する。
7月 信長、近江に侵攻し浅井氏を攻撃。朝倉義景、浅井氏支援のため近江に出陣。
8月8日 前波吉継、義景から離反し信長に降る。
8月 信長と本願寺・顕如、義昭と武田信玄の仲介により和睦。
9月 信長、近江・金森に楽市令を発布。
10月3日 信玄、義景と顕如の催促に応じて信長打倒のため出陣。
10月 義昭・信長、毛利氏・浦上氏・赤松氏3者間の和睦を仲介する。
11月 三好三人衆方の安宅信康、幕府に降伏する。
12月3日 義景、近江から撤退し越前に帰国。
12月6日 三条西実枝、細川藤孝に古今伝授を行う。
12月 信長、義昭に「異見十七ヵ条」を提示する。
元亀4年/天正元年(1573年) 1月27日 顕如、尾張・美濃・三河・遠江の門徒に蜂起を指示。
2月13日 足利義昭、織田信長打倒のため挙兵。
2月 信長、義昭を翻意させるため人質の提出と剃髪の意向を示す。
2月 武田信玄、三河・野田城を攻略。
3月12日 信玄、甲斐へ撤退を始める。
3月29日 信長上洛する。
3月 大山崎惣中、信玄に禁制を求める。
3月 義昭、造営中の信長邸を破却。
4月4日 信長、上京を焼き討ち。
4月7日 義昭と信長、和睦に合意する。
4月12日 信玄、信濃・駒場の陣中で病没。
4月27・28日 義昭と信長、和睦の起請文を交わす。
5月22日 信長、近江・佐和山で大船を建造を開始する。
6月23日 一条内基、大津御所体制構築を目的に土佐へ下向。
6月25日 紀伊・南河内守護の畠山秋高、守護代の遊佐信教に殺害される。
7月3日 義昭、再度挙兵。山城・槙島城に立てこもる。
7月3日 佐和山で建造中の大船が完成。
7月18日 信長、槙島城を攻撃。義昭降伏、追放される(槇島城の戦い)。
7月21日 村井貞勝、信長より天下所司代に任命される。
7月26日 信長、木戸城(清水山城)と田中城を攻撃。高島氏が降伏。
7月28日 天正改元。
8月2日 織田勢、淀古城を攻撃。岩成友通討死(第二次淀古城の戦い)。
8月8日 阿閉貞征、浅井長政から離反し信長に降る。
8月20日 信長、越前の朝倉義景を攻撃。義景自刃(一乗谷城の戦い)。
9月1日 信長、近江・小谷城を攻め浅井長政を滅ぼす(小谷城の戦い)。
9月 信長、再度長嶋一向一揆の征伐に乗り出すも失敗に終わる。
9月 織田方の柴田勝家、六角義治の拠る近江・鯰江城を攻略。義治退城。
11月5日 信長、堺に羽柴秀吉を派遣。義昭と帰洛に向けた交渉を行う。
11月16日 若江城の戦い。織田勢、三好義継を攻撃。義継自害。
12月26日 松永久秀・久通父子、信長に降伏する。

安堵:近世までの日本の土地私有制度において、主君が家臣に対し、土地の権利や役職の存在や継続等を承認・保証する行為。

一揆:日本において、理由を同じくする人々の共同体が行動を共にし、目的を達成すべく動く事。室町時代の土一揆、戦国時代の一向一揆、江戸時代の百姓一揆が有名。

右京大夫:律令制を敷いていた戦国時代の日本において、京内の司法・行政・警察を行っていた行政機関を京職というが、そのうち、大内裏から見て右側の区域を管轄する右京職の長官を右京大夫という。

改元:元号を改める事。日本や中国などの東アジアでは、ふつう天皇の在位期間によって定められる。

楽市令:戦国時代後期(安土桃山時代)、織田信長などの戦国武将が市場振興を目的として行った政策の一つ。商人に対し諸特権を保証し、自由な商売を認めた。

山城:険しい山の地形を活かし築かれた城の一種。敵方に有利となる兵の移動や陣形形成を阻める他、より高所からそれらの様子を展望・観察出来るというメリットがある。

自害:自らの手で自分の命を絶つ事。いわゆる自殺。自刃を始め、他にも様々な表現がある。

上洛:戦国時代において、主に武将が朝廷のある京都に入る事を指す。

徳政令:鎌倉時代から室町時代にかけての日本において、朝廷や幕府が当時の金融業者や債権者に対し、債権の放棄を命じた法令の事。

和睦:戦国時代の場合、それまで争っていた国(戦国武将)同士が協定を結び、仲の良い関係に戻る事を指す。

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