真言宗豊山派西福寺の歴史


* 2021/12/03.

和暦 西暦 世田谷・赤堤・西福寺史
永和 2 1376 1月、吉良治家、世田谷郷弦巻半分の地を鶴丘八幡宮に寄進(世田谷初見)
長禄 元 1457 4月、江戸重廉、江戸城館を太田資長に譲り、世田谷の喜多見に移る
天正 6 1578 9月、北条氏政、世田谷新宿に楽市掟書を出す(世田谷ボロ市の前身)
天正12 1584 11月、大法師賢幸、権律師に補任される 12月、山院寺号を高野山(宝塔院)より賜る。光林山持明院西福寺の始まり。
天正 18 1590 8月、徳川家康、関東入府 11月、中興開山権幸没
天正 19 1591 徳川家康、服部貞信に赤堤村160石を与える
慶長 7 1602 4月、服部貞信、山城国伏見にて没す
寛永 10 1633 3月、大場盛長、彦根藩世田谷領15ヶ村2306石余の代官となる
寛文 9 1669 3月、服部貞富没す
元禄 10 1697 服部氏橘樹郡へ所替となる。これに伴い赤堤村は幕府直轄領となる
正徳 元 1711 9月、西福寺仁王門棟上げされる。旧本尊(不動明王)修復される
安永 元 1772 内藤新宿が甲州街道の宿駅として再開され、赤堤村も内藤新宿の助郷村となる
享和年中 1801-3 西福寺罹災す
文化 元 1804 4月、本堂再建
文化 9 1812 9代服部貞勝、松前奉行となる
明治 2 1869 2月、府県施政順序が布告され、品川県荏原郡赤堤村となる
明治 4 1871 2月、品川賢の内173町村が東京府に移管され、東京府荏原郡赤堤村となる 西福寺僧松岡照山寺子屋を開く
明治 6 1873 3月、東京府は市街地外を33の小区に分け、東京府第7大区第6小区赤堤村となる
明治 10 1877 この頃、一時無住となる
明治 11 1878 7月、郡区市町村編成法に伴い、東京府荏原郡赤堤村となる
明治 15 1882 松堤小学校創立(現松沢小学校前身の一部)
明治 20 1887 11月、松堤・上北沢両小学校が合併し松沢小学校創立
明治 22 1889 4月、市制・町村制実施に伴い、東京府荏原郡松沢村大字赤堤となる。 松沢村成立の際、本堂の一部が仮役場となったという
明治 36 1903 本堂の屋根を茅葺きから英国製亜鉛引き鍍鉄葺きに替える
大正 4 1915 5月、京王線 新宿-調布間開通
大正 7 1918 4月、松沢小学校に府立豊島師範学校併設、豊島補習学校併置
大正 14 1925 2月、玉川電車の支線として三軒茶屋-下高井戸開通
昭和 2 1927 4月、小田急 新宿-小田原開通
昭和 7 1932 10月、世田谷・駒沢・松沢・玉川の2町2村で世田谷区成立
昭和 11 1936 10月、千歳・砧両村、世田谷区に編入
昭和 35 1960 本堂の屋根を銅葺きに替える
昭和 43 1968 仁王門再建
昭和 53 1978 9月、阿弥陀一尊画像板碑、区指定有形文化財に指定される
昭和 56 1981 4月、本尊薬師如来像、区指定有形文化財に指定される。指定に伴い調査、修復される
昭和 59 1984 弘法大師1150年御遠忌・当山開創400年を記念し、庫裡・客殿新築、欄間修復、付帯工事一式行う

亜鉛引き鍍鉄葺き:表面に亜鉛が塗られた鋼板による屋根葺きのこと。亜鉛鍍鉄板はトタン、亜鉛板などともいわれる。

寄進:寺院や神社などに物品や金銭を寄付すること。

助郷村:江戸時代、助郷役を課された郷村。助郷役とはその石高に応じて人馬を徴発した課役。

欄間:日本の建築様式にみられる建具の一種。採光、通風、装飾といった目的のために天井と鴨居との間に設けられる開口部材をいう。

庫裡(くり):寺院内部にある居住する場所のこと。裡は裏の俗字であり、庫裏とも書く。裡(裏)は、「うち」「なか」を意味し、居住する場所の他に、寺内の時食を調える場所「台所」も兼ねる場合がある。

石(こく):尺貫法における体積(容量)の単位の一つ。米の1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当する。

御遠忌(ごおんき):「遠忌」に、接頭辞「御」がついたもの。五十年忌、百年忌など、没後に長い期間を経て行われる年忌。

北条氏政:戦国時代の相模国の戦国大名・武将。後北条氏の第4代当主。父氏康の後を継いで北条氏の勢力拡大に務め最大版図を築くが、豊臣秀吉が台頭すると小田原征伐を招き、数ヶ月の籠城の末に降伏して切腹し、後北条氏による関東支配は終結した。



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