天草の歴史


カテゴリ :  
熊本県
  
  
歴史
  

* 2021/10/13.

西暦 元号 年号 出来事
600     このころ、土器を使って、天草各地で製塩が行われる。
645 大化 1 大化の改新
712 和銅 5 古事記に両児島・天両屋の名がある
744 天平 16 大雷雨で天草郡官舎等が被害を受ける
778 宝亀 9 遣唐使大伴宿弥一行天草郡西仲島に漂着する
794 延暦 13 平安京遷都
873 貞観 15 渤海船が天草に漂着する
885 仁和 1 新羅船が天草に漂着する
886 仁和 2 新羅国使徐善行ら天草郡に来航したが不調。和名抄の天草郷に波太、天草、志岐、恵家、高屋5郷あり。
935 承平 5 天草郡に「波太、天草、志記、恵家、高屋」の五つの郷名が記される
1192 建久 3 鎌倉幕府開府。
1205 元久 2 志岐光弘鎌倉幕府より郡内6カ浦の地頭に任ぜられる。
1220 承久 2 ※この頃河内浦に天草氏、大矢野氏、宮地氏(天草氏の分家筋)出現。
1233 天福 1 天草種有、本砥島地頭職を播磨局にゆずる
1260 文応 1 播磨局、亀川に来迎寺を建てる
1274 文永 11 文永・弘安の役に大矢野、天草、志岐氏ら出陣 (~1281年)
1281 弘安 4 弘安の役、大矢野種保・種村ら参戦し活躍する
1300 正安 2 ※この頃天草氏志岐氏によって滅ぼされる。 志岐城
1313 正和 2 本砥島の地頭職、志岐景弘に与えられる
1329 元徳 1 志岐弘円と宮地村地頭仏意の争い(~1330年)
1333 正慶 2 鎌倉幕府滅亡
1334 -   建武の新政
1337 -   山鹿(志岐)隆弘は北朝方、河内浦(天草)三郎は南朝方に立ち争う
1338 暦応/8.28 1 足利尊氏、室町幕府開く
1340   3 ※この頃上津浦氏登場。
1348   4 ※この頃河内浦氏天草氏を称し出現。
1350 観応/2.27 1 山鹿(志岐)隆弘、足利直冬の求めに応じ馳せ参ず
1353   2 志岐隆弘、肥後詫磨城・筑後飯盛城攻めに手柄をたてる
1358   3 倉岳町棚底(大権寺)に明俊塔できる
1365   4 天草種国、玉名広福寺に誓紙を納める
1368 応安/2.18 1 足利義満征夷大将軍
1370   3 島子・志加木を詫磨氏が支配する
1384 至徳/2.27 1 志岐又次郎、上津浦上総介・長嶋伊豆守等犬追物に参加する
1385   2 今川仲秋上津浦を攻め、又志岐城を攻め落とす
1399   6 志岐高遠、菊池武朝から本戸を与えられる
1404   11 本渡市亀川古寺に妙永禅尼塔ができる。
1442 嘉吉 2 竜ヶ岳大道東浦に心田了公・座元禅師塔ができる
1450 宝徳 2 ※この頃栖本氏、久玉氏が出現。
1467 応仁 1 応仁の乱
1487 長享 1 栖本町河内小ヶ倉に磨崖仏つくられる
1501 文亀 1 天草一揆(志岐・上津浦・宮地・天草・長嶋・大矢野・栖本・久玉)志岐領蒲牟田で話し合う
1505 永正 2 本砥は志岐氏、島子は上津浦氏に与えられる
河浦町益田観音寺、板碑つくられる
1530 享禄 3 天草氏、志岐氏を破り本戸城を築く。
1531 享禄 4 本渡市本渡町船の尾・尾越板碑つくられる
1532 天文 1 上津浦治種、相良氏の助けにより天草・志岐・栖本・大矢野・長嶋連合軍を破る
1533 天文 2 天草尚種を中心に、長島、志岐、栖本、大矢野合同で上津浦治種を攻める。
1539 天文 8 楠浦立浦板碑作られる。
1543 天文 12 ポルトガル船種子島に漂着。鉄砲伝来
1544 天文 13 上津浦氏、棚底城・上津浦城を降りる
1545 天文 14 大矢野に唐船着く
1549 天文 18 ザビエルら宣教師が鹿児島に上陸、日本に初めてキリスト教を伝える
1551 天文 20 天草・上津浦・大矢野氏連合して栖本を攻める
天草弾正左衛門尉行盛、大友義鎮に降伏する
1554 天文 23 相良氏天草を狙い、長島氏を出水へ追い出す。天草五人衆時代へ
1556 弘治 2 上津浦氏、栖本を攻め、上津浦より棚底攻藤河を破る
1558 永禄 1 天草より上津浦攻め、上津浦より棚底攻め、島子より下津浦を攻める
1560 永禄 3 栖本・上津浦戦。鉄砲が使われる
1562 永禄 5 日野江城主有馬義貞、口之津を開港。イエズス会士、同地に布教始める。
1564 永禄 7 小島子・下砥岐、天草氏より上津浦氏に返還する。
日本布教長コスメ・デ・トルレス神父、口之津に布教の本拠を移す。
1565 永禄 8 天草・大矢野・上津浦三氏で志柿を攻める
志岐・栖本・有馬・和泉合同で島子を攻める
長島城主天草越前守、島津義虎に滅ぼされる
1566 永禄 9 イルマン・アルメイダが志岐にキリスト教を伝える。
志岐麟泉洗礼を受け志岐に教会堂を建てる。
1567 永禄 10 全日本の宣教師を招集して志岐宗教会議ひらかる。
1568 永禄 11 口之津にあったイエズス会日本布教長コスメ・デ・トルレス神父、志岐に来て滞在。布教会議を開く。
1569 永禄 12 ルイス・デ・アルメイダ、河内浦にキリスト教布教。
1570 元亀 1 志岐宗教会議(全日本宣教師会議)でカブラル日本布教長となる。
トルレス神父志岐で昇天する。
1571 元亀 2 志岐麟泉棄教。
天草氏、嫡子や多くの家臣と共に洗礼を受く。これより河内浦はキリシタン伝導の拠点となる。
1573 天正 1 室町幕府滅亡。
1574 天正 2 このころ天草鎮尚、島津義虎と不仲になる
1575 天正 3 天草鎮尚、授洗。
1576 天正 4 天草鎮尚、島津氏と和睦。
1579 天正 7 天草鎮尚、島津氏の麾下にはいる。
イエズス会の巡察士アレキサンドロ・ヴァリニアーノ、口之津に来航、全国宣教師会議を開き、日本布教の大方針を決定。
1580 天正 8 島津氏と竜造寺氏の戦いに天草衆参戦。
このころ、天草鎮尚の領地でキリシタン1万5千人を数える。
1581 天正 9 志岐氏、竜造寺隆信に服属
天草刑部大輔、相良義陽に従い響原に戦死する
1582 天正 10 天草鎮尚没。
大矢野種基、島津義久に降る。
遺欧少年使節長崎を出航する。
本能寺の変
1583 天正 11 アルメイダ、河内浦にて没。
1585 天正 13 志岐・上津浦・栖本・天草・島津に従い島原半島に出兵竜造寺軍と戦う
1587 天正 15 天草久種等天草五人衆島津に従い大友氏と戦う
天草五人衆秋月で秀吉に降伏し、佐々成政の与力となる
秀吉、バテレン追放令を出す。
禁教令後、天草久種自領内でキリシタン保護・大矢野種基、一族家臣2731人と共に入信。
1588 天正 16 佐々成政失脚(切腹)し天草五人衆小西行長の支配下に置かれる。
鈴木重成生まれる。
ノビシアド(修練院)、河内浦に設置さる。遺欧4少年ノビシアド入所。
河内浦で疫病大流行。 河内浦城
秀吉が大矢野種基に小西行長合宿を命じ、1755石をあてがう。
天草久種、小西行長より6785石をあてがわれる。
天草でも太閤検地行われる。
1589 天正 17 6/15フロイスが本戸に滞在する。
8/1行長天草諸豪に宇土城普請役を命ずる
9/22天草合戦始まる
11/5 〃 ・木山弾正加藤清正に討たれる
11/8志岐城陥落
11/25本渡城陥落、天草伊豆の守討死・天草は完全に小西行長領となる
栖本氏キリスト教入信。
河内浦のノビシアドが大村に移される。
1590 天正 18 1/14上津浦氏入信
6/20遣欧少年使節長崎に帰還
1591 天正 19 イエズス会派宣教師養成の神学校(コレジオ)天草学林が建てられる。
文禄の役、天草諸豪も行長に従い渡海。
遺欧少年使節、聚楽第で秀吉に謁見。
行長と天草久種の和解が室の津で成立。
1592 文禄 1 文禄の役
コレジオにおいて、平家物語やイソップ物語、羅萄日辞典など29種の本(グーテンベルグ印刷機)を出版
梅北一揆起こり、栖本親高死す
寺沢広高、長崎奉行に任命さる
1593 文禄 2 河内浦にあったコレジヨが一時河内浦・大江・久玉に分散される
1595 文禄 4 広高、洗礼を受ける
1597 慶長 2 コレジオ、長崎に移る
慶長の役・大矢野種基父子、栖本道隆順天で戦死
広高棄教、迫害者へ
1598 慶長 3 8/18豊臣秀吉没
1600 慶長 5 関が原の戦い・行長は京都で処刑され、天草は加藤清正領となる
天草久種、小早川秀秋に属し備前に移る
1601 慶長 6 天草(33,000石)は寺沢広高(唐津藩)の領地となる。
1602 慶長 7 志岐(富岡)に新城築く
1603 慶長 8 家康、征夷大将軍
寺沢広高、富岡に新城を築き番代を置く。 検地をする。(4万2千石)
1604 慶長 9 広高、長崎代官罷免さる
1613 慶長 18 禁教令・宣教師国外追放。
1614 慶長 19 島原・天草はじめ全国でキリシタン弾圧が始まる。アダム荒川処刑さる。
1621 元和 7 三宅藤兵衛(2,500石)富岡番代となる。
1633 寛永 10 第1回鎖国令(海外渡航禁止)
1634 寛永 11 この年より天草・島原に不作続く・幕府、酒造高の半減を命ず・細川藩、年貢の減免を命ず
1635 寛永 12 大火や地震、大風が相次ぎ、7月には肥後だけで34,000戸の民家が倒壊
1636 寛永 13 春は長雨、夏は干天
1637 寛永 14 10天草・島原の乱が起こる。
1638 寛永 15 2.28原城落城・乱終結。天草は山崎家治所領となる。
魚貫崎遠見番所設置
1639 寛永 16 9.19鈴木重成代官となる。
1641 寛永 18 鎖国体制完成
山崎家治、讃岐丸亀へ移封、天領となり代官鈴木重成着任
牛深遠見山に番所も設置
諏訪宮本渡へ移転、本渡の市始まる
1642 寛永 19 幕府、九州諸藩に天草への移民命じる
熊本藩は頭百姓50人、男女170人、馬2匹提供する。
1645 正保 2 重成定浦制定める(弁指制)
1647 正保 4 富岡に首塚を建立
1648 慶安 1 東向寺建立。
1649 慶安 2 慶安の御触書
1651 慶安 4 崎津八幡宮創立
1653 承応 2 代官鈴木重成死去。(65歳)
1654 承応 3 二代代官鈴木重辰着任。
1655 明暦 1 天草へ初めて流人送られる。
1657 明暦 3 富岡、町となる
1658 万治 1 天草の人口16,000人、乱時の人口に回復
1659 万治 2 石高半減なる(2万1千石)
福連木官山の切り出し始まる
1664 寛文 4 鈴木重辰京都代官へ・天草私領となり三河国田原城主戸田忠昌領となる
1666 寛文 6 天草郡中町村の五人組張始まる(?)
1670 寛文 10 戸田忠昌寺社奉行に任命され、天草は再び天領となる・忠昌富岡城を三の丸のみを残し破城する
1671 寛文 11 小川正辰代官。細川潘再び天草警衛。
1672 寛文 12 砥岐組のみ、島原城主松平忠房の預かり所となる。
1673 延宝 1 長崎奉公。
山方約(15人)新設、富岡・崎津・亀川に配置する。
1685 貞享 2 将軍綱吉、生類憐れみの令
崎津鳥居建立(現存するものでは天草最古)
八代郡五家荘、天草代官の支配所となる
1688 元禄 1 大矢野組、14年間の島原預かりを解かれ天草代官支配下に復帰
1690 元禄 3 染岳観音堂建設着手
1691 元禄 4 天草の人口34,000人
1692 元禄 5 高野山僧侶間の派閥争いで天草に140人が流される。
1700 元禄 13 高野山の配流僧ら赦免
1702 元禄 15 江戸無宿55人天草へ配流
天草の甘藷栽培、このころ普及(推定)
赤穂浪士討ち入り
1705 宝永 2 砥岐組7カ村の男女144人薩州伊佐郡菱刈に移住
1706 宝永 3 亀川村に疱瘡流行
1707 宝永 4 遠見番所増設
富士山噴火・天草の富士噴火の砂被り被災地救済のため、上納金割り当て(高100石につき金2両づつ)を受ける
1709 宝永 6 代官竹村太郎右衛門嘉茂、天草郡中疱瘡病人手当方を制定
1711 正徳 1 天草の人口52,785人。
1712 正徳 2 天草陶石発見
1713 正徳 3 大庄屋制廃止
1714 正徳 4 天草郡は、豊後日田代官室七郎左衛門重福の兼摂となる
天草の大庄屋、特例として復活
1715 正徳 5 富岡に蔵元設置
1716 享保 1 享保の改革
1717 享保 2 唐津浪人広田和平、本村に移り住み天草土人形の制作を始める
明徳寺山門建立
1718 享保 3 天草全島人口65,000人
1720 享保 5 富岡でフカ狩り始まる
天草は、島原城主松平主殿頭忠雄の預地となる 在番の肥後兵引揚げ
郡中総高21,645石7升7合
1721 享保 6 全国的に人別改め実施、日本の総人口2607万人
1722 享保 7 島原城主松平忠雄、天草初巡視
1727 享保 12 享保の大凶作(旱魃・大風・虫害・洪水)による大飢饉。
1729 享保 14 郡中大飢饉、餓死者400人余
1730 享保 15 このころ甘藷栽培盛んになる
1732 享保 17 凶作続き、幕府は島原藩に命じ、給米千石を貸す(享保の大飢饉)
天草各地とも長雨後の日照りが続き、虫害による凶作
島原藩より公儀救飢米1000石の貸下げを受ける
1733 享保 18 西南諸国の餓死者16万9900人(徳川実記・96万と表記)
1737 元文 2 島原城主松平忠俔、天草初巡視
1740 元文 5 島原城主松平忠刻、天草初巡視
1746 延享 3 将軍代替わり西国巡見使下向
天草の人口74,657人
1749 寛延 2 鈴木神社石造り社殿新建
1750 寛延 3 新島原城主、下野国宇都宮城主戸田忠辰と国替え 天草は戸田氏預かりとなる
1754 宝暦 4 戸田忠寛島原城主
1759 宝暦 9 諏訪神社山口村より現在地に移転、大祭に農具市開催(本渡の市の起源)
1760 宝暦 10 御領に正倫社(私塾)ができる
1761 宝暦 11 全郡人口、89982人
1762 宝暦 12 上田伝五右衛門、鷹巣山に陶ガマを築く 高浜焼き
1765 明和 2 楠浦前潟新田一応竣工
水ノ平焼起こる
1766 明和 3 楠浦村前潟新田、牛深村万屋助七に譲渡
1767 明和 4 田沼意次側用人
1768 明和 5 島原藩に替わり揖斐十太夫(日田郡代)天草の統治者に任命さる。
※揖斐郡代8,500石の租税を年々増加し12,000石とする。
1771 明和 8 出米騒動起こる。
1772 安永 1 疱瘡流行、本戸馬場村59人隔離
田沼意次老中
1773 安永 2 疱瘡本戸馬場村新たに9人罹患
1774 安永 3 戸田氏と松平氏国替え、松平氏島原城主復帰 天草は西国筋郡代萎靡氏の兼帯続く
杉田玄白解体新書
1775 安永 4 町山口村で大火、民家86軒焼失
1776 安永 5 アメリカ合衆国独立宣言
1777 安永 6 大風が吹き、櫨宇土村庄屋役宅や数個の神殿が倒壊
1778 安永 7 島子で切支丹発覚、4名捕らえられる
1781 天明 1 富岡町で蔵元騒動起こる。
1782 天明 2 天明の大飢饉(虫害・洪水・冷害)。
1783 天明 3 島原城主松平飛騨の守領地
浅間山大噴火
町山口村に疱瘡流行、罹患43人
1784 天明 4 天草の人口10万人を突破する。
1785 天明 5 楠浦町山口村など各村に疱瘡流行
1786 天明 6 ※天明年間には郡内の田畑の3分の2は銀主2百数十人の所有となる
1787 天明 7 寛政の改革
6.牛深村銀主万屋助七外4軒の家屋打ち壊し、債権書類などを焼却
1789 寛政 1 瑞岡珍牛東向寺13世住職
富岡で大火、類焼500軒
楠浦村舟津で大火、40軒焼失
天草郡小前百姓3人、老中松平定信に篭訴
1790 寛政 2 天草人口過剰のため、江戸勘定所より関東移民をすすめられるも希望者なし
1791 寛政 3 天草で百姓徒党騒動
1792 寛政 4 雲仙眉山崩壊、天草では18カ村で死者343人、怪我707人,死牛馬109頭、田畑損壊65町の被害をうける
1793 寛政 5 5.西目筋一町田・大江組百姓など100人余、都呂々村木場へ集結
第1回の百姓相続方仕法が実施さる
1794 寛政 6 2.出米願いにつき一町田組今村・本戸組枦宇土村にて百姓騒ぎ立て
1795 寛政 7 「百姓相続方仕法」発令(寛政の徳政)
天草の人口、11万人を超える
12.西目百姓拝借夫食米年賦返済方願い方として都呂々村に集結
1796 寛政 8 2.西目百姓およそ300人一町田村に集結、地主,銀主宅を打ち壊し
天草郡百姓相続方仕法11か条公布
1800 寛政 12 志柿村で大火、100余軒焼失 被害者368人
1804 文化 1 加藤民吉、天草にて磁器製法などの知識を取得
1805 文化 2 大江・崎津・今富村で隠れキリシタン発覚。5,000人を数えるも心得違いとして穏便にすまされる
石本平兵衛、大飢饉被災者に救援米等贈る
1810 文化 7 伊能忠敬天草に来島し測量する。53日間・上田宜珍接待する
1811 文化 8 石本平兵衛、大飢饉被災者に救援米等贈る(~天保8年)
1812 文化 9 12.世上不穏、小作米減少、庄屋減員につき越訴を説き、諸村を徘徊
1813 文化 10 天草を長崎代官高木作右衛門が兼帯支配
1817 文化 14 上田宜珍、陶石販売をはじめる
天草郡百姓相続方仕法11か条延伸
1818 文政 1 高浜村で大火
頼山陽、西遊の途次千々石湾で暴風雨にあう。「泊天草灘」
全郡人口13万2205人
1820 文政 3 赤崎村前田市右衛門、黒砂糖の製法、甘藷の苗を伝える
1821 文政 4 出稼ぎの奨励
1822 文政 5 寛政の相続方仕法は、郡中百姓の困難が続いたため公儀に願い出て、特に20年間の減税ある
1823 文政 6 上田宜珍、「天草島鏡」を完成
1826 文政 9 寛政の相続方仕法年限満期
銀主勢力を増す
天草の人口、14万余人に達する
1828 文政 11 未曾有の大暴風雨襲来、田畑、家屋、漁船などに被害が及び死者33
1832 天保 3 人口140,000人。僧定舜、葵紋付の五条袈裟をあつらえたことで天草に流刑となる。
祗園橋竣工
1833 天保 4 天保の大飢饉~39年
10.本戸・一町田・大江組の百姓集結
1837 天保 8 大塩平八郎の乱
郡中困窮、わずかながら餓死者でる
1838 天保 9 大風・疱瘡流行
1841 天保 12 天保の改革
1843 天保 14 大矢野で百姓騒動
1844 弘化 1 郡中に一揆、参加者数万
1845 弘化 2 御領大庄屋長岡興成、農民の窮状を老中に直訴。
1846 弘化 3 弘化の仕法出る
1847 弘化 4 弘化の大一揆、暴民1万5千余 永田隆三郎 長岡興就
天草,日田代官竹尾清右衛門預所となる。
1849 嘉永 2 上津深江に牛痘山を起こし、初めて種痘を施す
弘化一揆の首謀者として永田隆三郎ら処刑さる
1853 嘉永 6 ペリー来航
1854 安政 1 ペリー再来航、日米和親条約締結
1856 安政 3 勝海舟、富岡に来る
1857 安政 4 深海村大火。
1858 安政 5 楠浦村中心にコレラ流行
楠浦村舟津で大火、人家110軒焼失
幕府海軍、天草水夫約20人募集するも希望者なし
1859 安政 6 楠浦村庄屋宗像堅固、前潟新田を牛深村万屋助七より買い取る
コレラ再流行
1860 万延 1 桜田門外の変
宗門改め続行さるも踏絵は廃止される
人口155,000人-現本渡市域の家数3978軒、人高23670人
赤崎村庄屋北野織部、天草人夫1000人、沼船300艘をもって長崎大浦外国人居留場約2万坪の海面埋地に成功
1861 文久 1 南北戦争
楠浦村庄屋宗像堅固、前潟新田釜の迫鑿河工事に着手
1862 文久 2 寺田屋事件・生麦事件
大風雨発生、家屋・田畑損壊甚だし、飢餓に陥るもの多し
1月長崎代官預け、6月新任命の西国郡代兼帯支配下
値賀紋水、本戸馬場村で私塾集義館開く(後の天草郡郷学)
コレラ再三流行
1863 文久 3 竹添荀園、町山口村で私塾誠文堂開く
薩英戦争起き、幕府は肥後藩に天草の警備を命じる(ただし、肥後藩常駐は1866年から)
郡中組々より薩摩への出稼ぎ人出発
1864 元治 1 楠浦村庄屋宗像堅固の前潟新田釜の迫鑿河工事完成
日田郡代窪田治部右衛門天草代官(兼任)となる。天領最後の代官
御領村大島の小山秀の進、長崎の大浦天主堂(国宝)を建てる
1867 慶応 3 大政奉還
長崎の漢詩人谷口藍田本戸馬場村明徳寺内に文学塾開く
過激派浪士約20人、富岡陣屋を襲撃、公金1万両前後を奪う
窪田代官、農兵組織「制勝組」の編成に着手
天草郡中、総高24493石余なるも実勢はその2,3倍に及ぶものと推定さる
1868 明治 1 戊辰戦争・五箇条の御誓文・江戸開城・東京遷都
富岡県→天草県→長崎府天草郡となる(37村に統合)
1869 明治 2 版籍奉還
天草は長崎県の管轄に入る
1870 明治 3 天草も庄屋を廃止し、里正を置く
1871 明治 4 廃藩置県。長崎県の管轄から八代県に属す
天草から北海道へ移民
1872 明治 5 里正を廃止し戸長となる
1873 明治 6 白川県に編入、村は大小区制になる
県出張所を富岡町から町山口村舟の尾へ移転
リスト教解禁
天草でも小学校が各村々に開校する(9年まで)
1876 明治 9 白川県を熊本県と改称。熊本県天草郡となる
崎津で血税騒動起こる
1877 明治 10 西南の役
1878 明治 11 群・区町村の編成
高浜でブドウ栽培はじまる
楠浦の眼鏡橋架橋さる
1879 明治 12 県天草支庁を郡役所に改組
1886 明治 19 上原典礼、有明町でいかなご網をおろす
1889 明治 22 中学済々學、天草分校開佼
1892 明治 25 牛深権現山炭鉱開鉱
天草銀行設立
1893 明治 26 鮫島十内、シカゴ万博に出品
1894 明治 27 八田網による鰯漁業始まる
1895 明治 28 深川卯次郎、カツオ漁はじめる
牛深炭鉱開鉱
登立・富岡道路着工
1896 明治 29 第1回天草群会開かれる
1897 明治 30 蒸気船による鰯魚始まる
本渡・大門県道開通、人力車走る。
1898 明治 31 本渡・牛深、町となる
1901 明治 34 郡内に馬車が走り始める。
1902 明治 35 本渡に自転車現われる
1903 明治 36 魚貫で石炭採掘
1904 明治 37 日露戦争
青年補習夜学始まる
1906 明治 39 県道 本渡・富岡線開通
1907 明治 40 鉄幹、白秋ら五人天草を旅する(五足の靴)
本渡・宮地・牛深に電灯つく
1908 明治 41 各地で青年団結成
1910 明治 43 本渡・大浦県道開通
1911 明治 44 牛深に蒸気船2隻進水
1915 大正 4 天草に自動車走行。
1917 大正 6 荻原宗作、でん粉工場を作る
1920 大正 9 マユ市場倉庫が建設される
1923 大正 12 瀬戸回転橋開通。
1926 昭和 1 群制(自治)を廃止支庁を置く
1928 昭和 3 ラジオ利用始まる
15人乗りのバス走り始める
1933 昭和 8 水稲晩化栽培始まる
1934 昭和 9 本渡・下田県道開通
1936 昭和 11 魚貫炭鉱設立。
1940 昭和 15 漁業に発動船(着火)使用され始める
1941 昭和 16 太平洋戦争開戦
1942 昭和 17 天草支庁を廃し、地方事務所となる
1945 昭和 20 太平洋戦争終戦
1949 昭和 24 天皇来島
1950 昭和 25 天草の人口減少へ
1954 昭和 29 4本渡・牛深市制施行
1955 昭和 30 9天草産業観光博覧会オープン。(52日間開催)
本渡港完成
水稲の早期栽培始まる-収穫増
1956 昭和 31 天草国立公園に指定される。
1958 昭和 33 瀬戸橋はねあげ式に改修
1959 昭和 34 電話自動化
1960 昭和 35 10第15回国体開催
町村合併進む
みかん園の造成、全群に拡がる
1962 昭和 37 栃光、大関に
1964 昭和 39 10本渡町中央商店街大火災
1966 昭和 41 9天草五橋完成。
1968 昭和 43 本渡・大矢野国道(266現324)完全舗装
県民体育大会開催さる
1969 昭和 44 羊角湾干拓工事進められる
工場の進出始まる
1972 昭和 47 7天草上島南部に集中豪雨(死者・行方不明123名)
1973 昭和 48 3本渡中央商店街アーケード完成
4天草消防組合開庁
パールマラソン始まる
1974 昭和 49 5天草瀬戸大橋開通
1975 昭和 50 8天草五橋無料化
1976 昭和 51 日中海底ケーブル開通
1978 昭和 53 瀬戸歩道橋完成
1979 昭和 54 栖本町を最後に県内全域電話ダイヤル化なる
本渡-苓北広域農道開通
1982 昭和 57 4亀川ダム完成
1984 昭和 59 園田直没
1985 昭和 60 10第1回トライアスロン天草大会
1989 平成 1 魚貫崎に難民船(167人)漂着
1990 平成 2 雲仙岳噴火
1992 平成 4 都呂々に中国からの密航者61人上陸
2000 平成 12 天草空港完成
リンク:

天草探見



コメント