江戸時代商人達に設立された学問所 懐徳堂の歴史


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* 2021/10/13.

出来事
1670(寛文10) 五井持軒、大坂で私塾を開く。
1700(元禄13) 三宅石庵、尼崎町で私塾を開く。
1706(宝永3) 中井甃庵の父・玄端、一家を率いて龍野から大坂に移住。
1713(正徳3) 石庵、安土町に私塾「多松堂」を開く。
1716(享保元) 享保の改革始まる。
1717(享保2) 平野郷に「含翠堂」できる。
1724(享保9) 大坂市中大火、いわゆる「妙知焼」。同志ら尼崎町の富永芳春の隠居所跡に学舎を建て、平野に難を避けていた石庵を迎え、「懐徳堂」を設立。
1726(享保11) 懐徳堂に官許の認可がおりる。
初代学主に三宅石庵、預り人に中井甃庵が就任。三宅石庵、開学記念講義を行う(『万年先生論孟首章講義』)。
1728(享保13) 荻生徂徠没。
1729(享保14) 五井蘭洲、江戸に出る。
1730(享保15) 三宅石庵没。中井竹山、生まれる。
1731(享保16) 中井甃庵、学主兼預り人となる。
五井蘭洲、津軽藩に仕官する。
1732(享保17) 中井履軒、生まれる。
1735(享保20) 懐徳堂の学則「播州大坂尼崎町学問所定約」全7条、制定。
1739(元文4) 蘭洲、津軽藩を去り大坂に帰る。
中井竹山(10歳)・履軒(8歳)蘭洲に学ぶ。
中井甃庵『五孝子伝』を記す。
1744(延享元) 中井甃庵、「墨菊図」(泉冶筆)に賛文を記し軸装する。
1745(延享2) 富永仲基『出定後語』刊行。
1746(延享3) 富永仲基『翁の文』刊行。
1751(宝暦元) 懐徳堂、改築。
五井蘭洲『勢語通』を著す。
1758(宝暦8) 中井甃庵没。三宅春楼(47歳)学主、中井竹山(29歳)預り人となる。「宝暦八年定書」全3条、「懐徳堂定約附記」全5条できる。
1760(宝暦10) 山片蟠桃、升屋別家伯父・久兵衛の養子となり、升屋本家に奉公を始め、懐徳堂に通学。
1762(宝暦12) 五井蘭洲没。
1764(明和元) 懐徳堂寄宿舎が建てられ、中井竹山、寄宿生に対する『懐徳書院掲示』を出す。
稲垣子華、孝子として幕府から顕彰される。
1765(明和2) 混沌社結成。
中井履軒、反古紙を使って「深衣」を作製、『深衣図解』を著す。
1766(明和3) 履軒、京都高辻家に招聘される。
1767(明和4) 履軒帰坂、鰻谷町に住み「水哉館」を開く。
五井蘭洲『瑣語』刊行。
1771(明和8) 懐徳堂で『大日本史』の筆写開始。
1773(安永2) 中井履軒『越俎弄筆』成書。
1774(安永3) 中井竹山、『社倉私議』を龍野藩に呈出。
草間直方、鴻池家の別家・草間家の女婿となる。
前野良沢・杉田玄白ら、日本初の翻訳解剖書『解体新書』を刊行。
1776(安永5) 中井竹山『詩律兆』刊行。
1777(安永6) 「安永六年正月定書」全1条、制定。
1778(安永7) 「安永七年六月定書」全8条、制定。
1780(安永9) 「学問所」を「学校」と改称、学問所の人別は町内から離れて別証文になる。中井履軒、米屋町に転居、『華胥国物語』を著す。
1782(天明2) 三宅春楼没。竹山学主兼預り人となり、『同志中相談覚』を示す。また、高辻胤長の下命により建学私議を上呈。
1784(天明4) 五井蘭洲『非物篇』、中井竹山『非徴』、懐徳堂蔵版で刊行。
1785(天明5) 大坂に心学明誠社が開設される。
1787(天明7) 松平定信老中主座となり、寛政の改革始まる。
1788(天明8) 松平定信来坂、竹山その諮問に答える。
1790(寛政2) 寛政異学の禁。
1791(寛政3) 『草茅危言』完成。
1792(寛政4) 懐徳堂全焼。
竹山、再建願いのため、江戸に下向。蕉園、「一宵十賦」の詩才を示す。
1795(寛政7) 再建の許可が下り、手当金300両下賜される。
1796(寛政8) 再建落成。総経費700両余。
中井竹山「懐徳堂記」を撰す。
1797(寛政9) 「宋六君子図」懐徳堂に贈られる。
中井竹山隠居。中井蕉園、学校預かり人となる。
1798(寛政10) 中井竹山肖像画描かる。
100人参加、1人5ヶ年500目の義金募集はじまる。蕉園江戸へ行く。
1799(寛政11) 中井竹山、『逸史』を幕府に献上。
1802(享和2) 山片蟠桃、『夢の代』の初稿『宰我の償』を著し、中井竹山に校閲を求める。
1803(享和3) 中井蕉園没。中井碩果預り人となる。
1804(文化元) 中井竹山没。
碩果、教授兼預り人となる。
1808(文化5) 草間直方、独立して今橋で両替屋を経営。通称・鴻池伊助。
1813(文化10) 並河寒泉懐徳堂に入る。
履軒の『七経逢原』このころ完成か。
1817(文化14) 中井履軒没。
中井碩果教授・並河寒泉預り人となる。
草間直方『三貨図彙』・山片蟠桃『夢の代』成る。
1820(文政3) 中井柚園、父履軒の聖賢扇を筆写。
1832(天保3) 中井桐園、碩果の嗣子となり、並河寒泉懐徳堂を出る。
1833(天保4) この年より天保7年にかけて、天保の大飢饉。
1834(天保5) 中井柚園没。
『天楽楼書籍遺蔵目録』作成。
1837(天保8) 大塩平八郎の乱。
1838(天保9) 緒方洪庵、適塾を開学。
1840(天保11) 中井碩果没。
寒泉懐徳堂に戻って教授となり、桐園預り人となる。
1847(弘化4) 並河寒泉、『辨怪』を著す。
1848(嘉永元) 並河寒泉、『逸史』(中井竹山)を刊行。
1854(安政元) 9月、ロシア軍艦ディアナ号大坂港に入港。
寒泉・桐園ロシア使節の応対に出る。
1855(安政2) 中井木菟麻呂、生まれる。
1857(安政4) 水戸藩、『大日本史』を懐徳堂に贈る。
1859(安政6) 同志とはかり、懐徳堂永続助成金を集める。
1863(文久3) 永続助成金の再延長を決める。
1864(元治元) 禁門の変。書籍・什器を文庫に収める。
1868(明治元) 鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争おこる。
桐園のみ懐徳堂に残り、寒泉は河内稲垣家へ、桐園の家族は中河内竹村家へ避難。
1869(明治2) 財政逼迫し、懐徳堂を閉鎖。
並河寒泉、「出懐徳堂歌」を残して懐徳堂を去る。
1871(明治4) 並河寒泉、本庄村で寒濤廬塾を開く。
1879(明治12) 懐徳堂最後の教授並河寒泉没。
1881(明治14) 懐徳堂最後の預り人中井桐園没。
1886(明治19) 中井木菟麻呂、『華胥国物語』(中井履軒)を版行。
1910(明治43) 西村天囚、「五井蘭洲伝」を講演、懐徳堂記念会、設立。
中井木菟麻呂『懐徳堂水哉館先哲遺事』執筆。
1911(明治44) 府立大阪博物場美術館において懐徳堂展覧会開催。
懐徳堂師儒公祭挙行される。西村天囚『懐徳堂考』刊行。
懐徳堂記念会から『懐徳堂五種』『懐徳堂印存』など復刊される。
1913(大正2) 懐徳堂記念会、財団法人として認可される。
1916(大正5) 大阪市東区豊後町19番地に重建懐徳堂竣工、松山直蔵を教授として招聘。
1922(大正11) 孔子没後2400年記念事業として、孔子祭を挙行する。
1923(大正12) 孔子没後2400年記念刊行として、武内義雄講師校訂の『論語義疏』、懐徳堂より出版される。
懐徳堂堂友会発足。
1924(大正13) 懐徳堂堂友会、『懐徳』を創刊。
1925(大正14) 『懐徳堂文科学術講演集』『懐徳堂百科通俗講演集第一輯』刊行。
西村天囚旧蔵書、碩園記念文庫として懐徳堂に寄贈される。
1926(大正15) 懐徳堂創学200年、重建懐徳堂10周年記念として懐徳堂書庫ならびに研究室竣工。
『懐徳堂要覧』刊行。
1931(昭和6) 中井木菟麻呂「旧懐徳堂平面図」作成。
1932(昭和7) 中井木菟麻呂、中井家伝来の懐徳堂関係資料を懐徳堂記念会に寄贈。
1936(昭和11) 中国の清華大学教授劉文典来堂、碩園文庫『楚辞百種』などの調査研究を行う。
1939(昭和14) 中井木菟麻呂、昭和7年に続き、中井家伝来資料を懐徳堂記念会に寄贈。
伊藤介夫遺族より、旧懐徳堂図書寄贈される。
1942(昭和17) 重建懐徳堂25周年記念事業として中井竹山『草茅危言』を刊行。
1943(昭和18) 中井木菟麻呂没。
1945(昭和20) 大阪大空襲により書庫部分を除き重建懐徳堂焼失。
1949(昭和24) 懐徳堂記念会、懐徳堂蔵書を大阪大学に寄贈。
1950(昭和25) 懐徳堂記念講演会(大阪大学)開催。
1951(昭和26) 懐徳堂記念会、文化功労者として大阪府教育委員会より表彰され、「なにわ賞」を受ける。懐徳堂記念春秋講座開始。
1953(昭和28) 『懐徳堂の過去と現在』(大阪大学)刊行。
1954(昭和29) 懐徳堂記念会の事務所を大阪市東区北浜三丁目の適塾内に移転し、事務連絡所を大阪大学文学部内に設置。
1956(昭和31) 懐徳堂回顧展開催(大阪阪急百貨店)。
1965(昭和41) 重建懐徳堂開講五十周年記念式典を大阪大学本部松下会館において挙行。
1976(昭和51) 『懐徳堂文庫図書目録』(大阪大学文学部)刊行。
1983(昭和58) 懐徳堂友の会設立される。懐徳堂古典講座開始。
1988(昭和63) 『懐徳堂文庫復刊叢書』(懐徳堂友の会・懐徳堂記念会)の刊行開始。
1994(平成6) 図録『懐徳堂─浪華の学問所』(懐徳堂友の会・懐徳堂記念会)刊行。
1996(平成8) 懐徳堂友の会、財団法人懐徳堂記念会に一本化され、発展的に解消。
1999(平成11) 懐徳堂記念会創立90年記念『懐徳堂記念会の九十年』刊行。
2000(平成12) 懐徳堂文庫資料の電子情報化開始。
2001(平成13) 5月、大阪大学創立70周年記念事業の一環として、マルチメディア技術による懐徳堂の顕彰(コンピュータグラフィックスによる旧懐徳堂学舎の復元、貴重資料データベースの公開など)が行われる。8月、懐徳堂文庫全資料、大阪大学附属図書館旧館書庫から新館貴重図書室に総合移転される。
2002(平成14) 懐徳堂文庫電子図書目録、公開される。
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