日本で初めての女医荻野吟子の歴史


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* 2021/09/07.

西暦 出来事
1851(嘉永4) 3月3日 現埼玉県熊谷市俵瀬で名主荻野綾三郎の五女として誕生
1868(慶応4) 埼玉県熊谷市名主稲村貫一郎に嫁ぐ 18歳
1870(明治3) 病気、離婚 順天堂病院に入院
1871(明治4) 退院実家で静養。女医志望決意
1873(明治6) 上京 井上塾に入門 23歳
1874(明治7) 甲府 内藤塾に助教として招かれる
1875(明治8) 東京女子師範学校に入学
1879(明治12) 同校卒業 私立医学校「好寿院」に入学
1882(明治15) 好寿院を卒業
東京府へ開業医受験願2回提出 却下。
埼玉県へ受験願提出1回 いずれも却下
1884(明治17) 衛生局長に面会。医術開業前期試験に合格
この年、京橋新富座のキリスト教大演説会を聞き強い感銘を受ける
1885(明治18) 医術開業後期試験に合格。女医第一号となる
産婦人科・荻野医院開業 35歳
1886(明治19) キリスト教に入信。本郷教会で海老名弾正から洗礼を受ける
キリスト教婦人矯風会に参加、風俗部長となる
1887~1888
(明治20~21)
大日本婦人衛生会幹事
1889(明治22) 明治女学校講師・校医となる
1890(明治23) 志方之善と結婚 吟子40歳 之善26歳
婦人矯風会、自由党大成会に婦人の議会傍聴禁止撤回を陳情
1891(明治24) 之善 理想郷を目指し渡道
1892(明治25) 明治女学校舎監
1894(明治27) 吟子 之善の渡道要請に即応できるよう明治女学校他諸職を辞任 
6月渡道 インマヌエルに居住
1896(明治29) 国縫に転居 本籍を移し半年間居住(夫鉱山開設のため)
1897(明治30) 吟子 瀬棚に転居 「荻野医院」を開業
淑徳婦人会を結成し会長となる。日曜学校を創設する
1898(明治31) 之善 瀬棚に転居
1903(明治36) 之善 同志社に再入学。吟子 札幌に医院を開業
4月17日、吟子病気となり、熊谷の姉の実家で転地療養
1904(明治37) 之善 同志社を卒業。 北海道浦河教会の牧師となる
1905(明治38) 4月 浦河教会の牧師を辞し、瀬棚に帰る
7月 吟子 瀬棚に帰る
9月23日 之善 病死
1908(明治41) 12月 吟子帰京 (58歳) 本所区新小梅町に開業
1913(大正2) 3月23日 吟子 肋膜炎発病、病床に臥す
6月23日 永眠
1936(昭和11) 日本女医公認50周年祭、荻野吟子女史慰霊祭挙行
1967(昭和42) 開業の地 瀬棚町に、女史の顕彰碑建設
1968(昭和43) 誕生の地 妻沼町に、女史の顕彰碑建設
1976(昭和51) 瀬棚町郷土資料館に荻野吟子女史遺品展示コーナーを設置し開館
1984(昭和59) 公認女医誕生百年記念式が東京で開催され、荻野吟子賞が設けられる(日本女医会)

インマヌエル:旧約聖書に登場する人物。『イザヤ書』7章14節、同8章8節にその誕生が預言される。

師範学校:教員を養成する学校であり、戦前の日本および日本の統治地域に存在した、初等・中等学校教員の養成を目的とした中等・高等教育機関。

肋膜炎:肺の外部を覆う胸膜(壁側胸膜=肋膜・肺胸膜)に炎症が起こる疾患。

顕彰碑:個人の著名ではない功績や善行などを称え、建てられる石碑のこと。

渡道:北海道へ渡ることを指す。来道の類語。

洗礼:キリスト教徒となるために教会が執行する儀式。全身を水にひたすか、または頭部に水を注ぐことによって罪を洗い清め、神の子として新しい生命を与えられるあかしとする。

同志社:1903年当時の同志社は、現在の同志社大学の前身。大阪府での学校設立は府知事の反対によって断念したが、京都府知事の賛同を得られたため、京都に設立した。1920年、キリスト教系私学として初めて大学に昇格。

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