クリスマスの歴史


カテゴリ :  
宗教
  
歴史
  

* 2021/11/25.

年代 出来事
古代メソポタミア 【クリスマスの「ユールの丸太」の起源】
古代メソポタミアでは、冬至に、世界を滅ぼそうとする怪物と闘う巨人を助けるために、怪物の木像を焼いた。この伝説を「ユールの丸太」の起源とする説がある。


●ユールの丸太
クリスマス・イヴの晩に大きな丸太を暖炉に引き入れ、前年の薪の燃え残りで火をつけて燃やす風習が、後に広くヨーロッパで行われるようになる。いまでは、薪の形をしたケーキ「ブッシュ・ド・ノエル」に名前が残されている。
古代ローマ 【クリスマスの「贈り物の交換」「常緑樹を飾る」
「祝宴」の起源】
古代ローマで農耕神サトゥルナリアを崇め豊穣を祈願する冬至祭「サトゥナリア祭」(12月17日~12月24日)を祝う。常緑樹を飾り、贈り物を交換し、祝宴を行う。この祭りの陽気な面が後にクリスマスにとりこまれる。

【「キリストの誕生日」と同化された「太陽神の
誕生日」】
ローマの軍人や兵士はペルシャから渡ったミトラ教の神「不滅の太陽神(ソル・インヴィクトゥス)」を崇め、誕生を祝う冬至祭「ブルーマリア祭」(12月25日)を祝う。この太陽神の誕生日とキリストの誕生日が後に同化していく。
3世紀 【はじめてキリストの誕生を祝う祭日が生じる】
3世紀に入るとキリスト教徒により誕生の儀式が行われる。初期にはその日付は一致せず、1月1日、1月6日、3月27日などに祝われ、当時はまだ教会として祝うことはない。
270年頃 【サンタクロースの原型といわれる「聖ニコラス(Saint Nicholas)」生まれる】現在のトルコのパトラで生まれ、ミュラの司教となる。子供や船乗りの守護聖人であることからサンタクロースの原型になる。


●サンタクロースの原型「聖ニコラス」
313年 【キリスト教が公認される】
自らキリスト教徒となったローマ帝国のコンスタンティヌス帝が、キリスト教を公認する。
325年 【12月25日をキリストの誕生日として制度化する】
ニカイア公会議でキリストに関する教義を整理し、ミトラ教の太陽神の誕生を祝う祝日「不滅の太陽の誕生日」12月25日を、キリストの誕生日として制度化する。
336年 【12月25日にキリストの誕生日を祝った最古の
記録】
「フィロカルスの暦」の336年のローマの行事に、「12月25日にキリストはユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と記される。
354年 【ローマ教会(西方教会)が12月25日に降誕祭を行うようになる】
379年 【ギリシア教会(東方教会)が12月25日に降誕祭を
祝うようになる】
392年 【はじめて鐘(ベル)で祝うようになる】
5世紀のはじめ、イタリアのキリスト教会ではじめて鐘が用いられる。
5世紀 【はじめてキリストの誕生を祝った聖歌が作られる】
6~9世紀 【聖ニコラス信仰が広まる】
ビザンティン帝国で聖ニコラス信仰が広まる。聖ニコラスについて数々の伝説が生み出される。特に「金貨の贈り物」「減らない穀物」などの伝説から、聖ニコラスが
「贈り物」結び付けられる。12月6日が「ニコラスの祝日」に制定される。
567年 【イギリスでクリスマス期間の労働が禁止される】
トゥールの公会議において、アルフレッド大王が、クリスマスから公現節までを聖なる期間と定め、労働を禁止する。
598年 【イギリスで12月25日に祝われた最初の記録】
カンタベリーのアウグスティヌスがクリスマスに1万人以上のアングロ・サクソン人に洗礼を施すが、改宗してもなお寛大な教会の慈悲により、人々は異教の祭りの風習を楽しみ、常緑樹を飾り、ユールの丸太を燃やし、仮面劇やまじないの歌をうたい踊りに興じた。こうしてイギリスのクリスマスはユールの風習を合わせたものとなる。
8世紀 【「モミの木」の伝説】
キリスト教の聖人「聖ボニファティウス」が、ドイツ伝道中、異教徒の神聖な木であるカシの木を切り倒し、代わりに信仰のシンボルとしてモミの木を差し出したという伝説がある。
8世紀以降 【「アドベント」のはじまり】
クリスマス前の4つの日曜日を含む機関を「アドベント(待降節)」と呼び、心の構えを形成するために、この期間は祝い事を避けて生活するようになる。
813年 【フランスでクリスマス祭を義務づける】
マインツ教会会議でフランスのクリスマス祭が義務づけられ、1773年までクリスマス中の4日間は公式の
祝日となる。贈り物を交換し、ロウソクを灯すというローマの習慣も引き継がれる。
9世紀 イギリスのアルフレッド大王が、ゲルマン民族の支配者がクリスマスを快楽的なお祭り騒ぎの機会にしてしまったことに心を痛め、クリスマス以後の12日間は
信仰深く守るように訴える。
9~10世紀 【「猪の首のごちそう」のはじまり】
スカンジナビアから来たバイキング達がヨーロッパで活躍し、彼らの先祖の風習である「リンゴを口に噛ませた猪の首」ごちそうや「ユールの丸太」などをクリスマスの中に持ち込む。


●猪の首のごちそう
ヨーロッパで活躍したバイキング達が、北欧の牧神フライを象徴する猪の首のごちそうや丸太の薪を燃やすユールの行事を、クリスマスの中に持ち込む。
1043年 【「クリスマス」という用語がはじめて使用される】
「アングロ・サクソン年代記」の1043年の頃で、はじめてクリスマスという用語が使用される。それ以前は「冬至祭」または降誕を意味する「ナティビティ」の語が使用されている。
1099年 十字軍がエルサレムを占領し、ベツレヘムでクリスマスを祝う。
11世紀 【クリスマス・ツリーの期限となる木が宗教劇の中
に登場する】
中世にドイツのライン川上流地域で行われた宗教劇で、モミの木にリンゴの実をつけてエデンの園の知恵の木を表し、やがてロウソクを飾って光を表すようになる。これがクリスマス・ ツリーの起源といわれる。
12世紀初期 【聖ニコラス・イヴに贈り物をする】
フランス中央部の修道女が聖ニコラス・イヴの12月25日に貧しい人たちに贈り物をする。
中世後期 【中世後期1100〜1500年頃、さまざまな形でクリスマスが盛んに祝われる】
西ヨーロッパ全域にキリスト教が広まり、荘厳なミサから世俗的な大騒ぎまで、さまざまな形でクリスマスが盛んに祝われる。
13世紀 【はじめてのクリスマス・キャロルが作られる】
イタリアの聖フランチェスコが、今日の意味でのクリスマス・キャロルをはじめて作ったといわれる。
1223年 【「かいば桶劇」がはじまる】
イタリアのグレッキオという町で、アッシジの聖フランチェスコが、雄牛やロバや聖職者を参加させた「かいば桶劇」を行う。この後、かいば桶のキリスト誕生を演じた劇は、クリスマスの出し物として定着する。
1252年 ヘンリー3世が、牛600頭を殺してクリスマスの御馳走をする。
13~14世紀 【オランダでは聖ニコラスが「ジンタ・クラース(Sinterklaas)」と呼ばれる】
オランダでは、聖ニコラスが、オランダ風に「ジンタ・クラース」と発音される。アムステルダムの守護聖人として崇められ、13〜14世紀頃から、彼が贈り物をもたらす風習がはじまり、「ジンタ・クラースの祝日(12月6日)」に、聖歌隊の少年たちにお小遣いと休日が与えられる。


●14世紀の聖歌集楽譜
中央の挿絵にはキリストと二人の使者が描かれる。


●ジンタ・クラース(オランダに渡った聖ニコラス)
オランダに渡った聖ニコラスは、オランダ風に「ジンタ・クラース」と発音される。司教の出でたちに笏または杖を持ち、白馬に乗って現れ、お供にブラック・ピートを連れている。
1444年 【クリスマスに広場にツリーを立てて祝う】
ストウが旅行記「サーベイ・オブ・ロンドン」に、クリスマスに広場や集会所にツリーを立てて祝う様子を描く。この頃、教会や家庭では、アイビーや月桂樹等の常緑の植物を飾って祝い、ツリーは「コミュニティ・ツリー」といわれ、広場や集会所など人々の集まる場所に立てられた。
1474年 【クリスマスの焼菓子が売り出される】
ドイツでは、クリストシュトレンと呼ばれる長パン菓子が売り出されるようになる。
1492年 【コロンブスがクリスマス・イヴに新大陸に上陸する】
15世紀 【賛美歌の中に「ファーザー・クリスマス」という言葉が登場する】
16世紀 【はじめてクリスマス・ツリーが描かれる】
ドイツのL.クラーナハ(父)の銅版画に描かれたものが、クリスマス・ツリーのもっとも古い例といわれる。
1508年 【若枝を飾りつけてクリスマスを祝う】
ドイツのシュトラスブルクで、クリスマスに若枝を部屋に置き、互いにワインや蜂蜜菓子を贈り合って祝う。司教座聖堂の説教師ガイラー・フォン・カイゼルスベルクが、この風習を異教的なもので廃止すべきと説く。
1516年 【イギリスではじめてクリスマス・ツリーが飾られる】
イギリスのヘンリー8世のために行われたクリスマスの野外劇で、積み上げられた石の上に、バラとザクロの実で飾られた金色のツリーが立てられる。
1517年 【宗教改革で聖人信仰が禁止される。】
プロテスタント(新教)を信仰する国では、聖人を信仰の対象とすることが禁止される。これにより聖ニコラスは信仰の対象からはずされたが、オランダでは贈り物を贈る伝統行事「ジンタ・クラース祭」として存続する。
1517年頃 【はじめてクリスマス・ツリーにあかりが灯される】
ドイツの宗教改革者マルチン・ルターが、森の中で木の枝の間から星が輝いているのを見て、クリスマス・ツリーにロウソクを飾ったといわれる。


●ルター家のクリスマス・ツリー
1517年頃、ドイツの宗教改革者マルチン・ルターが、森の中で木の枝の間から星が輝いているのを見て、クリスマス・ツリーにロウソクを飾った。
このことが、クリスマス・ツリーにロウソクを飾る風習の起源といわれる。この絵は、その後1845年にカール・A.シュヴェルトゲブルヒによって描かれ、これによってルターとツリーにまつわる伝説が蘇り、ルター派の地方にツリーの人気が高まる。
1521年 【ドイツ領アルザス「コミュニティ・ツリー」を立てクリスマスを祝う】
1549年 【日本ではじめてクリスマスが祝われる】
フランシスコ・ザビエルにより、鹿児島で12月25日に祝われたと推測される。
1552年 【日本でクリスマスが祝われた最初の記録】
日本ではキリシタン時代、クリスマスを「ナタラ」といい、天文21年12月10日に山口で祝われる。
1570年 【ドイツの職人がツリーを立ててクリスマスを祝う】
ドイツのブレーメンの職人組合(ツンスト)が、小さなモミの木に、リンゴ・クルミ・ナツメ・八文字パン・造花などを飾り、組合集会所に立てる。
16世紀後期 【イギリスでピューリタンによるクリスマス批判が強まる】
楽しい伝統的慣習を象徴する日としてクリスマスを祝う王党派とイングランド教会に対し、謹厳なピューリタンが、ローマ・カトリックの祝日として避難し、暴飲暴食・ダンス・賭け事・乱ちき騒ぎその他諸悪に結びつく祝日として攻撃する。
1583年 イギリスのP. スタッブズが、著書「諸悪の解剖」に「仮面劇を装う盗み、売淫、殺人などがクリスマスほど横行する時期はない」と記し、劇場・演劇を誹謗する。
  【スコットランドでクリスマスが禁じられる】
長老派がスコットランドでクリスマスを禁止する。
1594年 【エリザベス女王の宮廷でクリスマスにシェイクスピアの劇が上映される】
1597年 【ツリーを持ち廻り、集会所に立て、飾り物を食してクリスマスを祝う】
ドイツのバーゼルでは、仕立て職人たちが、リンゴやチーズで飾った緑の木を持ち廻り、職人集会所に立て、その後吊るした飾り物をむしりとって食し、クリスマスを祝う。
  【ツリーの飾りつけにかかった出費の記録】
ドイツ領アルザス北部で栄えていたトゥルクハイムの町で、職人が組合の補給係の勘定書に、クリスマスツリーを飾るためにリンゴ・聖餅・色紙・糸など購入したことを記録する。この頃までに、組合集会所にツリーを飾る風習がドイツ領アルザス地方を中心に広まる。
17世紀 【イギリスの仮面劇(ママーズ・プレイ)に「ファーザー・クリスマス」が登場】
イギリスでは中世からママーズ・プレイという仮面劇が行われ、17世紀初頭にベン・ジョンソンがジェームズ1世のために書いた仮面劇の中に「ファーザー・クリスマス」が登場する。宮廷の祝宴の司会者としても活躍する。


●ファーザー・クリスマス
17世紀からイギリスの仮面劇に「ファーザー・クリスマス」が登場。頭にヒイラギの冠をかぶり、パンチボールを手にしてにこやかに酔っている。
1600年 【ドイツ領アルザス地方でクリスマス・ツリーを立てて祝う風習が広まる】
アルザス地方のシュレットシュタットの名士会の人々が、クリスマスのためにモミの枝を会議室に立て、リンゴや聖餅を飾りつける。その飾りは1月6日に子どもたちに自由に取らせた。
1602年 ドイツ人の作家バルタザール・ベックが旅行記に、「故郷シュレットシュタットでは、クリスマスにビスケットや団子でモミのツリーや若枝を飾る」と記す。
1605年 アルザス地方の旅行記に、「シュトラスブルクではクリスマスに、色紙で作ったバラの花や馬、リンゴや供物、金の飾りや砂糖菓子などを飾ったモミの木を部屋の中に立てる」と記される。
1620年代 【サンタクロースがアメリカに渡る】
新大陸ニューアムステルダムに移住してきたオランダ人が、故郷同様、12月6日に、サンタクロースの原型となった聖人を祀る「ジンタ・クラース祭」を行う。
1627年 【ロンドンでクリスマスに新教徒救済の寄付金集めが行われる】
1647年 【イギリス議会でクリスマスが禁じられる】
1657年 【神父がクリスマス・ツリーを偶像崇拝と非難する】
ドイツ領アルザス地方のシュトラスブルクでは、大寺院の神父で神学教授のヨハン・コンラート・ダンハウアーが、人々が人形や砂糖菓子を吊り下げたクリスマス・ツリーを家の中に立て、木をゆすったり、飾り物をむしりとったりする行いを、神の言葉や神聖な行いにもとるものと避難する。
1658年頃 【ドイツの宮廷でテーブルの上にクリスマス・ツリーが飾られる】
フランスのオルレアン伯爵夫人となったリーゼロッテ・フォン・プファルツが、少女時代にドイツのハノーヴァーの宮廷で過ごしたクリスマスには、子供のための新しい洋服や銀製品・人形・砂糖菓子と、小さなロウソクを立てた小さなツゲの木が、祭壇のように整えられたテーブルの上に飾られた。(1708年の回想より)
1660年 イギリスに君主制が復活し、クリスマスが公に認められる。市民の力が拡大するにつれて、中産階級独自のクリスマスの祝祭が盛んになる。
1664年 【ドイツの作曲家シュッツが、「クリスマス・オラトリオ」を作る】
18世紀 【賛美歌106番「あらののはてに」が作られる】
【「かいば桶(クリブ)」工芸が盛んになる】
バイエルン・ハンガリー・オーストリアなどでは、「かいば桶(クリブ)」彫刻を奨励し、非常に華美な贅沢をし、高価な工芸品となる。
【クリスマス・ツリーが家庭の中に広まる】
ドイツでは18世紀に、これまで組合集会所や公共の場で飾られていたクリスマス・ツリーが、家庭でも飾られるようになる。
1714年 【コレリが「クリスマス協奏曲」を作る】
イタリアの作曲家コレリが、合奏協奏曲「生誕の夜のために書かれた協奏曲」を作る。12曲からなる「コンチェルト・グロッソ集」op.6の第8番。
1716年 【木製のピラミーデがクリスマスに飾られる】
ドイツのエルツゲブルゲでは、木製のピラミーデにロウソクを立ててクリスマスを祝う。


●ピラミーデ
ドイツのエルツゲブルゲでは、クリスマスにピラミーデと呼ばれる木製の燭台を飾る。
1719年 【賛美歌112番「もろびとこぞりて」が作られる】
イギリスで賛美歌の父とよばれるアイザック・ウオッツの詩。「ダビデの詩篇ー新約聖書のことばで」の中に収められる。後にアメリカ人、L.メーソンがヘンデルの「メサイア」テーマをもとに曲をつける。
1734年 【ドイツの作曲家J.Sバッハが「クリスマス・オラトリオ」を作る】
クリスマスから主顕祭までの6祝日のための6つのカンタータ(全64曲)からなり、一貫した筋はない。第10曲(第2部曲頭)のシンフォニア「羊飼いのクリスマス音楽」、第19曲のアリア「眠れ、いとしいもの」は有名。
1737年 【ドイツでロウソクを灯したクリスマス・ツリーや贈り物の風習が広まる】
この頃までに、ドイツのヴィッテンベルクでは、ロウソクを灯したツリーや贈り物の風習が一般的になる。ナッソウでは、ロウソクの他に金箔をかぶせた木の実なども飾られる。


●ロウソクを灯したツリー
18世紀中期から、ドイツではロウソクを灯したクリスマス・ツリーが一般的になる。
1738年 【フランスでははじめてクリスマス・ツリーが飾られる】
フランスでは、ポーランド人のマリー・レンチンスカが、はじめてクリスマス・ツリーをルイ15世の宮廷に取り入れ、以後ヴェルサイユに伝わる。
1741年 【ドイツの作曲家ヘンデルがオラトリオ「メサイア」を作る】
救世主=メシア降誕をテーマにした第一部にちなみクリスマスの時期に演奏される。晩年、ヘンデルはこの作品による慈善音楽会を毎年行う。
1744年 【「若きウェルテルの悩み」の中でクリスマス・ツリーが描写される】
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中に、ウェルテルが、昔、ロウソクや菓子やリンゴで飾りたてたツリーを見て、天国にでも入ったように有頂天になったことを回想する場面が描写される。
1776年 【はじめて「サンタクロース」の文字があらわれる】
12月26日の「ニューヨーク・ガゼット」に、はじめて「サンタクロース」の文字があらわれる。「先週の月曜日、プロテスタント・ホールでSt.NicholaーSt.A.Clausとも呼ばれるーの祭典が行われた。」と書かれる。
【クリスマス・ツリーがアメリカに渡る】
アメリカ独立戦争下にイギリス側で戦ったドイツのヘッセン兵達が、アメリカにはじめてクリスマス・ツリーの風習を持ち込む。ジョージ・ワシントンが、1776年のクリスマスの日に、クリスマス・ツリーを囲んで祝っていたヘッセン兵達を奇襲したという「トレントンの戦い」の伝説は有名。
19世紀初期 【ドイツ全域にクリスマス・ツリーの風習が広がる】
19世紀に入ると、それまで一部の地域や上流階級・職人組合の風習であったクリスマス・ツリーが、ドイツ全域、一般家庭へと広まる。
19世紀 古いキャロルの再発見と、新しいキャロルの創作が盛んに行われる。
1809年 【サンタクロースの原型がはじめてアメリカの文学作品に登場する】
ワシントン・アーヴィングが随筆「ニューヨークの歴史」に、贈り物の風習とサンタクロースを描く。


●ワシントン・アーヴィング
はじめて随筆にサンタクロースを描く。まだ「セント・ニコラス」と「サンタクロース」の両方の呼び名が使われ、「オランダ風の緑広帽」をかぶり「パイプ」をくわえ「フランドル風のズボン」をはいた「陽気」な人物が、「12月5日の晩」に「荷馬車にプレゼントを積んで」訪れた様子を描く。
1813~15年 【ヨーロッパ各地にクリスマス・ツリーの風習が広がる】
ナポレオン戦争を機に、ドイツ兵がヨーロッパ各地にクリスマス・ツリーを伝え、戦後の宗教生活を重んじる空気の中で定着していく。
1818年 【賛美歌109番「きよしこの夜」が作曲される】
オーストリアのオルガン奏者グルーバーがクリスマス・イブに、同じ教会の副牧師ヨーゼフ・モーアの詩をもとに作曲する。


●グルーバーとモーア
オーストリアで「きよしこの夜」130年を記念して1948年に発行された切手に描かれたグルーバー(左)とモーア(右)
1819年 【イギリスでクリスマス・ツリーが飾られた二番目に古い記録が残る】
ジョン・ワトキンス博士の記録によると、ドイツの出身のイギリス国王ジョージ3世は、王妃シャルロッテと共に、ウィンザー城にクリスマス・ツリーを飾って祝ったとされる。
【随筆「クリスマス」が書かれる】
アメリカの作家ワシントン・アービングの随筆集「スケッチ・ブック」の一遍。
1822年 【アメリカ人がクリスマス・ツリーを飾った最初の記録】
ペンシルバニア州ベツレヘムに住むマシュー・ツァーンが、1822年12月20日の日記にクリスマス・ツリーの切り出しの様子を記す。ペンシルバニア州には、18世紀から19世紀にかけて、ドイツから多くのプロテスタント達が移住し、彼らの風習が次第にアメリカに定着する。
【詩「セント・ニコラウスの訪問」が作られる】
アメリカの神学校の教授クレメント・クラーク・ムーアが、クリスマスに、自分の子供たちのために、詩「セント・ニコラウスの訪問」を作り聞かせる。
1822年 【ドイツのシュリーマンが、クリスマスに贈られた本からトロイア発掘の夢を見る】
当時8歳になろうとしているシュリーマンは、クリスマスに、父からゲオルク・ルードウィッヒ・イェッラー博士の「子供のための世界歴史」を贈られ、はじめてトロイアを知る。後に情熱と不屈の信念で、トロイア発掘を果たす。
1832年 【ヴィクトリア女王13歳の時のクリスマス・ツリー】
イギリス出身のヴィクトリア女王は、13歳の時の日記に、おばのソフィーがクリスマス・ツリーを立てたことを記す。
1836年 【アメリカでクリスマスが公休日に定められる】
アラバマ州がアメリカではじめてクリスマスを公休日に定める。次いでルイジアナ州が、1838年にクリスマスを公休日とする。最も遅くクリスマスを公休日としたのは、オクラホマ州の1890年。
1837年 【フランスの宮廷でクリスマス・ツリーが飾られた二番目の記録】
ドイツの王女エレーヌ・ド・メレンブルグが、オルレアン公と結婚した際、クリスマス・ツリーの風習をチュイリュリー宮に持ち込む。やがてその風習が都市から田舎へ、上流階級から他の階級へと広まる。
1840年 【クリスマス・クラッカーが考案される】
ロンドンの菓子職人トム・スミスが、フランスのボンボン菓子をヒントにクリスマス・クラッカーを考案する。


●トム・スミスのクリスマス・クラッカー
1840年代に、トム・スミスが考案したクリスマス・クラッカーは、1920~40年代にはクリスマスのお祝いの席になくてはならない存在となる。
1841年 【ヴィクトリア女王一家がクリスマス・ツリーを飾る】
ヴィクトリア女王の夫君アルバート公が、故国ドイツの風習にならって、宮廷にクリスマス・ツリーを飾る。この様子が1848年の挿絵入り週刊誌「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」で取り上げられ、ロイヤル・ファミリーの人気と共に、ツリーの風習がイギリスの中産階級に広まる。


●アルバート公が飾ったクリスマス・ツリー
1848年「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」が、アルバート公が飾ったクリスマス・ツリーを囲むヴィクトリア女王一家のクリスマスの様子を報じると、ロイヤル・ファミリーのライフスタイルに憧れを抱いていた中産階級の人々が、こぞってクリスマス・ツリーの風習を取り入れた。こうして、クリスマス・ツリーは幸せな家庭の象徴となる。
1843年 【小説「クリスマス・キャロル」が出版される】
イギリスの作家チャールズ・ディケンズの中篇小説。ディケンズの一連の「クリスマス物語集」の第一作であり代表作。
1843年 【はじめてクリスマス・カードが作られる】
イギリスでヘンリー・コール卿(ヴィクトリア&アルバート博物館創設者)の提案により、王位美術院会員のジョン・カルコット・ホースリーがデザインした着色石版刷り。1000枚ほど刷られ、コールとホースリーが使用した残りは1枚1ペニーで売られる。


●はじめてのクリスマス・カード
左右にはチャリティを意識した絵が、まん中にはヴィクトリア女王の時代から盛んになりつつあった家庭のクリスマスパーティの模様が描かれる。
1844年 【詩「セント・ニコラスの訪問」が出版される】
「セント・ニコラスの訪問」が収められたクレメント・クラーク・ムーアの詩集が出版される。


●クレメント・ムーア
詩「セント・ニコラスの訪問」の中で、新しいサンタクロースを描く。これにより、サンタクロースは「クリスマスの前の晩」に「八頭立てトナカイのソリ」に乗り、「屋根に駆けのぼり」「煙突からやってくる」ようになる。「毛皮の洋服」を着て「丸くお腹の突き出た」愛すべき姿が、多くの人々の心をつかむようになる。
【物語「モミの木」が出版される】
デンマークの作家アンデルセンの「新童話集」の中の一遍。クリスマス・ツリーになったモミの木の物語。
1845年 【二番目に古いクリスマス・カードがイギリスで作られる】


●二番目に古いクリスマス・カード
モー・イグレイのエッチングで、中央にクリスマス・パントマイムでおなじみのキャラクター「ハーレクィンとコロンビーヌ」、右側に家庭のパーティー、左側にフォークダンスを踊るお客の姿を描く。
【アメリカのR.ロバートがサンタクロースを描く】


●R.ロバートが描くサンタクロース
【物語「マッチ売りの少女」が描かれる】
デンマークの作家アンデルセンの物語。少女がつけたマッチの炎の中に、クリスマスの幸せな光景が次々と浮かび上がる。
【「クリングルズ・クリスマス・ツリー・ブック」が出版される】
「クリングルズ・クリスマス・ツリー・ブック」の出版などにより、サンタクロースやクリスマス・ツリーを飾る風習が広がる。
【「ルター家のクリスマス・ツリー」が描かれる】
ドイツのカール・A.シュヴェルドゲブルヒが、マルチン・ルターの一家が、ロウソクを灯したクリスマス・ツリーの周りに集う絵を描き、ルターとツリーのにまつわる伝説を蘇らせる。これにより、ルター派の地方でツリーの人気が高まる。
【ドイツで「フェザー・ツリー」が考案される】
ドイツで、七面鳥やガチョウの羽でできた、折り畳んで手軽に持ち運べる人工のツリー「フェザー・ツリー」が考案される。故郷のクリスマス・ツリーの風習が忘れがたく、「フェザー・ツリー」を携えてアメリカへ移住したドイツ人も多い。
1847年 【絵本にドイツのサンタクロース「ヴァイナハツマン」が描かれる】
ドイツの人気挿し絵画家モーリッツ・フォン・シュビントが、「ミスター・ウィンター」を絵本に描き、後に現れるドイツ特有のサンタクロース「ヴァイナハツマン」の原型となる。これがドイツ語圏で最も古いサンタクロース像と言われる。


●シュビントが描くドイツのサンタクロース「ヴァイナハツマン」
シュビントの描くサンタクロースにより、サンタクロースはキリストの聖人とは関係のない姿になっていく。
1848年 【はじめてガラス製オーナメントが作られる】
ドイツのシュレジア地方のラウシャの町で、6ダース3サイズのはじめてのガラス製オーナメントが作られる。ラウシャでは、1590年頃からガラス工芸が盛んであり、1867年にはガス燈が灯されるようになる。
1849年 【絵本「セント・ニコラスの訪問」が出版される】
ニューヨークで、クレメント・ムーアの詩とテオドール・C.ボイドの挿絵からなる絵本「セント・ニコラスの訪問」が出版される。


●ボイドが描くムーアの詩の挿絵
ボイドは、サンタクロースが「小人」であることを表すため、原作にはない「椅子の上に乗っている図」を描く。
19世紀中期~後期 【イギリスのヴィクトリア時代にクリスマスの装飾品が華やかになっていく】
【女性雑誌を通じてクリスマスの風習が広まる】
アメリカやヨーロッパでは、19世紀の中期から後期にかけて出版された女性向け雑誌により、家庭にクリスマスの風習が広まる。1850年代にはドイツのクリスマス・ツリーが紹介され、1870年から1880年代にはツリーの飾り方、1890年代には贈り物の送り方が特集される。
1850年頃 【イギリスでテーブルの上に飾る小さなツリーが流行する】


●テーブルの上に飾られたクリスマス・ツリー
19世紀イギリスで「ニュー・クリスマス・ツリー」とも呼ばれた。テーブルの上に飾る小さなツリーが流行する。チャールズ・ディケンズは「クリスマス・ツリー」という作品の中で、テーブルの中央に置かれた、美しいドイツのおもちゃ、すなわちクリスマス・ツリーを取り囲む、子どもたちの楽しそうな様子を描く。
1850年 【ドイツでサンタクロースが描かれる】
ドイツの挿絵画家ポッツィが「復活祭のうさぎ」に「サンタクロース」を描く。長いコートを着て、袋を方にかけ、束ねた小枝を手にしている。


●ポッツィが描く「サンタクロース」
ドイツの挿絵画家ポッツィが「復活祭のうさぎ」に「サンタクロース」を描く。長いコートを着て、袋を肩にかけ、束ねた小枝を手にしている。
1851年 【アメリカではじめてクリスマス・ツリーの商いが行われる】
マーク・カールは、ニューヨークのワシントン・マーケットに大量のツリーを運び込み商売を始める。この商売は大当たりし、1880年にはニューヨークだけで20万本のツリーが売り出され、現在では年間約42億円の市場といわれる。
【アメリカではじめて教会にクリスマス・ツリーが飾られる】
オハイオ州クリーブランドに住む、ドイツ移民のヘンリー・シュワン牧師が教会にツリーを立てる。しかし、信者はこれを歓迎しなかったといわれる。
1852年 【「サンタクロース」という町が誕生】
アメリカのインディアナ州に「サンタクロース」と名付けられた小さな町が誕生する。


●「サンタクロース」と名付けられた町
アメリカのインディアナ州に「サンタクロース」と名付けられた小さな町が誕生。サンタクロースの大きな像が立つ。
1856年 【アメリカのホワイトハウスにはじめてクリスマス・ツリーが飾られる】
ピアス大統領が、首都ワシントンの大統領官邸ホワイトハウス前のラファイエット広場に最初のクリスマス・ツリーを飾る。以後、この風習は今日まで続く。
1857年 【「ジングル・ベル」が作られる】
アメリカのJ.S.ピアポントにより、ボストンのある日曜学校のために作られる。もともとのタイトルは「一頭立てのそり」である。繰り返し歌われる「ジングル・ベル」で知られるが、歌詞にクリスマスのことは登場せず、冬の風物をうたっている。
1863年 【トマス・ナストがサンタクロースを描く】
アメリカの人気イラストレーター、トマス・ナストが「ハーパーズ・イラストレイテッド・マガジン」に、ムーアの詩に合わせたサンタクロースを描く。


●トマス・ナストが描くサンタクロース
ムーアの詩のイメージを独自に膨らませ、大変な人気となる。まだ小人のままだが、プレゼントをねだる子供に囲まれた場面や北極に仕事場がある場面などが新たに創作され加わる。 ナスト以後はサンタクロースという呼称だけが使われ、聖ニコラスは別の人物をさすようになる。
1867年 【アメリカでキャンドル・ホルダーが考案される】
アメリカのニュージャージー州のチャールズ・キルヒホッフが、クリスマス・ツリーに飾るキャンドル・ホルダーを考案する。当時は、ツリーをロウソクで飾ることが盛んであった。
1868年 【日本の文献にはじめて「クリスマス」があらわれる】
「遠近新聞」に「西洋の日曜日並にクリスマス・デイとは休日のことなり」記述される。
  【ジョン・リーチ画による「クリスマス・キャロル」が出版される】


●ジョン・リーチが描く「第二のゴースト」
ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」挿絵。 第二のゴーストは、けちんぼうのスクルージおじさんをロンドンの様々な場所に導き、貧しいなか、しかし明るい家庭を築いて、ささやかな愛で結ばれたクラチットの家族の情景、伯父を呼べなかったことを惜しみながらも知人達と楽しい夕食会をしているフレッドの姿を見せる。第二のゴーストは、「ファーザー・クリスマス」の姿によく似ている。
1869年 【フランスの作曲家サン・サーンスが「クリスマス・オラトリオ」を作る】
1870年 【普仏戦争の前線にクリスマス・ツリー飾られる】
普仏戦争の際ヴィルヘルム1世が、前線で戦う兵士のために大量のクリスマス・ツリーを手配する。これに感動した兵士達は、この風習をそれぞれの家に持ち帰る。
1871年 【アメリカでガラス球とビーズの鎖のオーナメントが作られる】
【ドイツ帝国が成立しクリスマスの装飾品産業が景気づく】
1872年 【日本にはじめてできた教会でクリスマス集会が行われる】
日本にはじめてできた教会「横浜公会」で、クリスマスに集会が行われ、家庭でもクリスマスが祝われる。
1875年頃 【日本人によりはじめてクリスマスが祝われる】
原胤昭が設立した銀座の原女学校で、はじめて日本人によりクリスマスが祝われる。
1875年 【アメリカではじめてクリスマス・カードが印刷される】
ドイツ生まれの印刷業者ルイス・プラングが、アメリカではじめてクリスマス・カードを印刷する。全国規模のクリスマス・カード・コンテストを行い、カードの普及に貢献する。
【日本の新聞に家庭で祝うクリスマスが報じられる】
12月26日付の「東京曙新聞」で、24日夜のクリスマス・イブに「耶蘇降誕の宵祭り」が家庭で祝われたことが報じられる。
1878年 【日本の雑誌に「クリスマス」の説明が記される】
「芸術雑誌」に「本月25日は、西洋のクリスマスという耶蘇の祭日にて、この祭日は本邦の氏神祭と雛祭と福引を一つにしたるような風習なり」と記される。
【ドイツのニュルンベルクで銀箔の細長いオーナメントが考案される】
1879年 【アメリカでクリップ付きキャンドル・ホルダーが考案される】
アメリカ人フレデリック・アルツは、キャンドル・ホルダーに、ブリキ製のスプリング・クリップを装着し、ツリーに留めやすくする。


●アルツ考案のクリップ付きキャンドル・ホルダー
アメリカ人フレデリック・アルツは、キャンドル・ホルダーに、ブリキ製のスプリング・クリップを装着し、ツリーに留めやすくする。
1880年 【「天使の髪」と呼ばれるオーナメントが人気を博す】
クリスマス・ツリーに天使を思わせる霞をかけるための、「天使の髪」というスパンガラスの長い繊維でできたドイツ製のオーナメントが考案され、アメリカで人気を博す。
【ウールワースがラウシャ産のガラス製オーナメントを発売する】
ウールワースの創始者F.W.ウールワースが、自らドイツのラウシャをを訪れ、優れたガラス製オーナメントを仕入れ、アメリカ国内で販売をはじめる。最初に仕入れたものは即日完売し、2年後には、20万個ものオーナメントをラウシャから仕入れ販売する。
1882年 【はじめてクリスマス・ツリーに飾る電球が発明される】
トーマス・エジソンが電球を発明した3年後、エジソンの会社の同僚エドワード・H.ジョンソンが、クリスマス・ツリーに飾る電球を発明し、ニューヨーク5番街の自宅に電飾のクリスマス・ツリーを飾る。
1886年 【画集「サンタクロースとその仕事」が出版される】
アメリカの人気イラストレーター、トマス・ナストによる画集が出版される。ナスト以後、サンタクロースという呼称だけが使われるようになり、セント・ニコラスの名前が併用されることは、ほとんどなくなる。
1887年 【クリスマス・ツリーに飾ったロウソクが原因で火事が発生する】
ニュージャージ州マタワンでは、12月25日にツリーに飾ったロウソクの火が元で火事が発生する。この頃から、ツリーに飾る光は、ロウソクから電球へと移り変わっていく。
1890年 【画集「トマス・ナストによる人類のためのクリスマス画集が出版される】
1890年代 【広告にサンタクロースが登場しはじめる】
「セント・ニコラス」誌や「ユース・コンパニオン」などの子供向け雑誌広告にサンタクロースが登場する。
  【ビーズの装飾品が発売される】
アメリカでチェコスロバキア製のビーズの装飾品が発売される。
1890〜20世紀初期 【アメリカでイギリスのヴィクトリア調のクリスマス・ツリーが流行する 】
19世紀後期、アメリカでは、さまざまな華やかなオーナメントが、生産・発売され、。イギリスのヴィクトリア調のきらびやかに飾り立てたツリーがもてはやされる。
1892年 【アメリカでオーナメントを止めるフックが発明される】


●フック付きオーナメント
アメリカでオーナメントを留めるフックが発明される。
【物語「毎日がクリスマス」が出版される】
アメリカの作家ウィリアム・ディーン・ハウェルズの物語集の中の一遍。「毎日がクリスマス」がそのまま表題になる。
19世紀後期 【イギリスにニュー・ファーザー・クリスマスが誕生する】
「贈り物」と「モミの木」を持ち、ギフトブリンガー(贈り物をもたらす人)の性格をもつニュー・ファーザー・クリスマスが誕生。中世のファーザー・クリスマスとは区別される。


●ニュー・ファーザー・クリスマス
イギリスで、中世のファーザー・クリスマスとは別に、「贈り物」と「モミの木」を持ち、ギフトブリンガー(贈り物をもたらす人)の性格をもつニュー・ファーザー・クリスマスが誕生。中産階級の熱狂的支持を受ける。ドイツからの移入ともアメリカからの移入ともいわれる。
1894年 【「サンタクロース・クリスマス頒布財団」が発足する】
イギリスで、中産階級の人々を中心に行われていた慈善活動の一環として、「サンタクロース・クリスマス頒布財団」が発足する。
1895年 【ホワイトハウスにはじめて電飾のクリスマス・ツリーが登場する】
アメリカでクリーブランド大統領の在職中に、はじめてホワイトハウスのクリスマス・ツリーに電球の飾りがつく。


●ホワイトハウスのクリスマス・ツリー
アメリカでクリーブランド大統領の在職中に、はじめてホワイトハウスのクリスマス・ツリーに電球の飾りがつく。
【デンマークのビング・オー・グレンダール窯でクリスマス・プレートが製作される】


●ビング・オー・グレンダール窯のクリスマス・プレート
デンマークのビング・オー・グレンダール窯で、1895年にはじめてクリスマス・プレートが製作される。初作はフランツ・オウグスト・ハリンのデザインによる「凍った窓から見た風景」。
1897年 【「サンタクロースは本当にいるの」(Is There a Santa Claus?)】
新聞「ニューヨーク・サン」宛に、8歳の少女バージニア・オ・ハンロンちゃんから「サンタクロースは本当にいるの」という質問が届く。記者フランシス・ファーセラス・チャーチが同紙に掲載した回答は有名。


●バージニア・オ・ハンロンちゃん
「サンタクロースは本当にいるの」という8歳の少女に問いかけに答えた新聞「ニューヨーク・サン」の記事は、多くの人に感動を与え、今日まで語り継がれるクリスマスの名作となる。
1898年 【はじめてクリスマス切手が発行される】
カナダで、はじめてクリスマス切手が発行される。額面2セントで、世界地図が描かれ、下に「XMAS1898」の文字がある。


●はじめてのクリスマス切手
カナダで発行された、額面2セントの切手。図柄は世界地図を表し、下に「XMAS1898」の文字がある。
1900年 【フィンランドで児童雑誌「サンタクロース」が創刊される】
フィンランドで、児童向け雑誌「サンタクロース」が創刊される。クリスマスに関する話や詩が掲載され、画家ルドルフ・コイブの挿絵とともに人気を博す。年1回の発行で、1966年まで続く。
1900~10年 【アメリカの人気漫画にサンタクロースが登場しはじめる】
サンタクロースがアメリカの人気漫画「バスター・ブラウン」や「リトル・ニモ」の主人公の仲間として親しまれ、映画の登場とともに、たくさんの無声映画の主人公になる。
  【アメリカでサンタクロースが家庭向け週刊誌に登場しはじめる】
広告に登場したサンタクロースは、家庭向け週刊誌に多く登場し、製品やサービスを保証するための、陽気で魅力あるキャラクターに変身させられていく。
1906年 【オー・ヘンリーの短編小説「賢者の贈り物」が出版される】
アメリカの短編作家オー・ヘンリーの短編集「ザ・フォーミリン」の中の一遍。クリスマス・プレゼントを贈るために自分の大切なものを売り、櫛と時計の鎖に交換した恋人達の物語。
1908年 【演劇「青い鳥」が上演される】
ベルギーの劇作家メーテルリンクの演劇「青い鳥」がモスクワの芸術座で上演され、大成功を収める。翌年本として出版される。
  【ロイヤルコペンハーゲンがクリスマス・イヤーズ・プレートを製作しはじめる】
デンマーク王室の御用達製陶所ロイヤルコペンハーゲンが、クリスマス・イヤーズ・プレートの製作をはじめる。初作は「マドンナとこども」。以後今日まで続く。
1913年 【ウールワースが「フェザー・ツリー」を発売する】


●「フェザー・ツリー」
1845年頃からドイツで生産された、七面鳥やガチョウの羽でできた「フェザー・ツリー」は、折り畳め手軽に持ち運べることから、当初はアメリカに移住するドイツ人の間で人気を呼んだ。その後半世紀以上たって、モミの生木の伐採が環境問題となり、アメリカでも生産・販売されるようになる。高価な物にはダチョウや白鳥の羽も用いられた。
1914年頃 【アメリカ独自のオーナメントの生産が盛んになる】
第一次世界大戦以後、ドイツのラウシャからツリー・オーナメントが供給されなくなり、独自の生産が盛んになり、新しい技術が開発される。
1920年 【ロックウェルがサンタクロースを描く】
全米に広く発行される「サタデー・イブニング・ポスト」誌のクリスマス号の表紙に、アメリカの人気イラストレーター、ノーマン・ロックウェルがサンタクロースを描く。


●ロックウェルが描くサンタクロース
全米に広く発行される「サタデー・イブニング・ポスト」誌のクリスマス号の表紙に、アメリカの人気イラストレーター、ノーマン・ロックウェルがサンタクロースを描く。同画はレソトのクリスマス切手にも用いられている。
1931年 【コカ・コーラの広告にサンタクロースが描かれる】
コカ・コーラの広告のキャラクターとして、アメリカの人気イラストレーター、ハッドン・サンドブロムの描くサンタクロースが採用される。


●サンドブロムの描くサンタクロース
でっぷり太った大男で、いかにも人間くさい、はじめての等身大のサンタクロースを描く。愛嬌あるキャラクターは、すぐに他のサンタクロースに影響を与えていった。
【アメリカのロックフェラー・センターにはじめてツリーが飾られる】
大恐慌の最中の1933年、ビルで働く建設業者達が、泥や瓦礫の間に小さなツリーを立てる。1933年には公式の習慣となり、以後今日まで毎年続く。
1935年 【日本の少女向け雑誌にクリスマスの付録がつけられる】
「少女倶楽部」12月号に「クリスマス貯金箱」の付録がつけられる
1936年 【日本の少女向け雑誌にクリスマスに関する読み物がつけられる】
「少女倶楽部」12月号に「クリスマス児童劇」の読み物がつけられる。
【日本の子供向け雑誌にクリスマスの情景が描かれる】
「幼年倶楽部」12月号の表紙に、サンタクロースのお面を持つ子供たちが描かれる。口絵には、蕗谷虹児の描く「たのしいクリスマス」が掲載され、プレゼントを手に、ツリーの飾られた外国人家庭を訪れる、着物姿の日本の子供が描かれる。
この頃、子供向け雑誌にクリスマスが多く取り上げられるが、この後、次第に戦争の影が濃くなるにつれ、クリスマスにまつわることは雑誌から消えていく。
1939年 【物語詩「赤鼻のトナカイ」が書かれる】
コピーライターのR.L.メイが、モンゴメリー・ウォード店の広告のために創作。赤鼻のトナカイが霧の深いクリスマス・イブの夜に、サンタクロースの旅を助ける様子を描いたパンフレットが、お客に配られる。
1942年 【音楽「ホワイト・クリスマス」が作られる】
アメリカ映画「ホリデイ・イン」(邦題「スイング・ホテル」)のために、アービング・バーリンが作詩・作曲。主演のビング・クロスビーが歌って大ヒットし、この年の音楽部門でオスカー賞を受賞。
1947年 【映画「三十四番街の奇跡」が作られる】
アメリカで、デパートに雇われたサンタクロースが登場するクリスマス映画「三十四番街の奇跡」が作られる。
【ノルウェーからトラファルガー広場にクリスマス・ツリーが贈られる】
1947年ノルウェーが、第二次世界大戦時の支援に感謝して、トラファルガー広場にクリスマス・ツリーを贈る。以後今日まで毎年贈られ、ロンドン市民の目を楽しませている。ウェストミンスター市は、この返礼として、1972年にオスロー市にローズ・ガーデンをプレゼントした。
1949年 【「赤鼻のトナカイ」が出版される】
「赤鼻のトナカイ」の作家R.L.メイの義兄弟ジョニー・マークスが、メイの物語にもとづいて、歌詞と曲をつけて出版。ジーン・オードリーが歌ってレコード化されて以後、毎年ベストセラーを続ける。
【オーストリアではじめて切手にクリスマスの情景が描かれる】
児童保護基金を記念して「幸福な子供の情景」を描いた切手が発行される。その中に、「子供とクリスマス」「子供と聖ニコラス」の情景が描かれる。


●オーストリアではじめてクリスマスが描かれた切手
児童保護基金を記念して「幸福な子供の情景」を描いた4種の切手が発行される。「復活祭」「誕生日」とともに、「子供とクリスマス」(左)「子供と聖ニコラス」(右)の情景がとりあげられる。
1953年 【オーストリアではじめてクリスマス切手が発行される】
1954年 【映画「ホワイト・クリスマス」が作られる】
前作「ホリデイ・イン」を改題し、曲の名前を付けた映画「ホワイト・クリスマス」が作られる。主演ビング・クロスビー、ダニー・ケイ、ローズマリー、クルーニー、ベラ・エレンの主演。
1957年 【韓国の年賀切手にはじめてクリスマスの図柄が描かれる】
1962年 【アメリカではじめてクリスマス切手が発行される】
1964年 【全米でロックフェラー・センターの光のセレモニーが放映される】


●ロックフェラー・センターの光のセレモニー
ロックフェラー・センターの光のセレモニーは、1964年以後恒例のTVイベントとして全米に放映されるようになる。ツリーの高さは通常21m程度で、1950年と1952年には最も高く26m近いものが飾られた。飾られる電球も、1933年の最初のツリーではわずかに700個であったが、1991年には23500個も飾られた。現在ではその巨大なツリーを見ようと、クリスマス・シーズンに250万人もの見物客が訪れる。
【日本人の描いた絵がはじめてクリスマス切手に用いられる】
T.キミコ・コセキの描いた絵による切手が、バチカンから発行される。日本の家屋に着物姿の家族が集まり、キリスト降誕を祝う風景が描かれる。


●日本人の描いた絵によるはじめてのクリスマス切手
1966年 【イギリスではじめてクリスマス切手が発行される】
多色刷り切手が2枚発行される。額面は3旧ペンスと1シリング6旧ペンス。図柄は「オリエントの王」と「雪だるま」を描いた児童画。


●イギリスで発行されたはじめてのクリスマス切手
1969年 【西ドイツ・ベルリンではじめてクリスマス切手が発行される】
1971年 【スウェーデンではじめてクリスマス切手が発行される】
1984年 【日本の子供たちの手紙がサンタクロースに届けられるようになる】
スウェーデンのトムテランドに日本事務局が設立され、日本の子供たちのために、サンタクロースへの手紙いのなかだちをする。

公現節:カトリック教会の祭日の一。キリストの栄光が公に世に現れた三大事跡(降誕の際の東方の三博士による礼拝、受洗、カナにおける最初の奇跡)のうち、三博士の礼拝を記念して1月6日(またはその後の最初の日曜日)に祝う。御公現の祝日。

降誕祭:聖人、偉人などの誕生日を祝う祭典。特にキリストの降誕を祝う日を指す。

アウグスティヌス:ローマ帝国時代のキリスト教の神学者、哲学者、説教者。ラテン教父の一人。

アルフレッド大王:イングランド七王国のウェセックス王。デーン人の侵攻を食い止めキリスト教文化を復興し、古英語での読み書きを習慣化した王。

オーナメント:飾り、装飾、装飾品、飾り罫を指し、広義には、インテリアやデザイングッズ、置物、小物、また飾り罫などのこと。

キリシタン:わが国に伝わったカトリック教。その信徒。また、その宣教師が布教の手段に使った、理化学的な技術。

コロンブス:探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。

コンスタンティヌス帝:4世紀初頭のローマ帝国皇帝。 帝国の分裂、混乱を克服し専制君主政を確立した。

トマス・ナスト:ドイツ系アメリカ人の風刺画家、政治漫画家で、「アメリカ漫画の父」とされる人物。

ニカイア公会議:皇帝コンスタンチヌス1世が 220人余の司教を各地から集めて開いた、キリスト教史における最初の全教会規模の会議。

ピューリタン:イングランド国教会の改革を唱えたキリスト教のプロテスタントの大きなグループ。

フランシスコ・ザビエル:スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。

プロテスタント:キリスト教の一派。カトリック教会に反抗し宗教改革を行ってできた。新教。その教徒。

マルチン・ルター:ドイツの神学者、教授、作家、聖職者。アイスレーベンドイツの宗教改革者。聖アウグスチノ修道会に属する。

ミトラ教:ペルシアの神ミトラを信奉する密儀宗教。 キリスト教が広まる以前のローマ帝国で最も盛んとなり,キリスト教に対抗した主要な宗教。

メーテルリンク:ベルギー象徴主義の詩人、劇作家、随筆家。正式名はメーテルリンク伯爵モーリス・ポリドール・マリ・ベルナール 。

メソポタミア:アルゼンチン北東部,パラナ川とウルグアイ川にはさまれた地域。

十字軍:中世にヨーロッパ各地のキリスト教徒が、聖都エルサレムをイスラム教徒の手から奪い返すために起こした遠征軍。

中産階級:中世の支配階級であった貴族,僧侶に対して,第三身分として登場した新興の都市商工業者,自由職業者。

リンク:

xmassquare



コメント